中村楽天

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中村 楽天(なかむら らくてん、1865年8月30日慶応元年7月10日) - 1939年昭和14年)9月19日は、兵庫県出身の日本俳人ジャーナリスト。本名は中村修一。

経歴[編集]

1865年(慶応元年)に播磨国辻井村(現在の兵庫県姫路市)で生まれる。1885年(明治18年)に上京、26歳の時に徳富蘇峰の主宰する国民新聞に記者として入社、のち『国民之友』の編集者となる。国木田独歩と交流し『青年文学』を刊行する。32歳で俳句を学び、正岡子規の創刊したホトトギスの同人となり、子規門として教えを受ける。1898年(明治31年)、子規が直野碧玲瓏上原三川とともに出版した「日本派」最初の類題句集『新俳句』(民友社)の編集や刊行にも尽力する。その後、和歌山新報の記者を経て1900年(明治33年)に秋山定輔二六新報に入社。そこで主宰した二六吟社が楽天の名を高めることになる。二六新報の売れ行きも相まって、与謝野寛(のちの与謝野鉄幹)や伊原青々園喜谷六花など、多くの作家、歌人、俳人を輩出した。子規亡き後は同門である篠原温亭嶋田青峰が主宰した『土上』の同人となり、晩年は自身も俳誌『草の実』を創刊、主宰した。1939年(昭和14年)、師である子規と同月同日の9月19日、74歳で没。

人物[編集]

口が悪く皮肉や毒舌を公言して憚らない人物だった。実際に伊藤博文首相を侮辱した罪で、禁錮2ヶ月の刑を受け服役している。

句集・著書[編集]

  • 『徒步旅行』(俳書堂・1902年)
  • 『明治の俳風』(俳書堂・1907年)
  • 『中村楽天句集』(杜松堂書店・1937年)

参考文献[編集]

  • 松岡ひでたか著『中村楽天滴滴』(2011年・友月書房)
  • 高浜虚子著『回想 子規・漱石』(2002年・岩波文庫)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]