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上杉頼成

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上杉頼成
時代  鎌倉時代末期 - 室町時代初期
生誕  不詳
死没  貞和2年(1346年
別名  顕成、頼明
幕府 室町幕府 御厩奉行、相模・丹後守護代
主君 足利尊氏
氏族 千秋上杉氏
父母 父:上杉頼重
兄弟 憲房重顕頼成加賀局清子日静
女子(勧修寺道宏正室)、女子(高師直正室)
正室:長尾景基の娘
藤成藤氏萩原氏明長尾藤景長尾藤明
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上杉 頼成(うえすぎ よりなり)は、鎌倉時代末期から南北朝時代の人物。諱は頼明とも。上杉家始祖重房の孫にあたる。

生涯

御厩奉行に任命され、のちに相模丹後守護代となる。甥である足利高氏に従って各地を転戦し、建武5年(1338年1月には北畠顕家奈良で撃退した。

多くの男子を持つが、藤成の系統は扇谷上杉家へ、藤景・藤明の系統は長尾氏を継いで佐貫長尾氏へ、氏明の系統は萩原氏へと血統を残した。