三橋四郎
三橋 四郎(みつはし しろう、慶応3年12月2日(1867年12月27日) - 大正4年(1915年)11月5日)は、明治期から大正初期に活躍した建築家。領事館をはじめとする多くの官庁建築の設計に携わるとともに、鉄網コンクリート工法を考案したことで知られる。
経歴
- 1867年 幕臣 鈴木庸正の四男として、江戸に生まれる
- 1893年 帝国大学工科大学造家学科(後の建築学科)を卒業、陸軍省に入る
- 1898年 逓信省技師となり、郵便局舎の建築にあたる
- 1906年 東京市技師となり、営繕課長となる
- 1908年 東京市を退職し、三橋建築事務所を東京に開設する
- 1915年 ウラジオストックにて客死。享年48
主な作品
- 旧赤間関郵便電信局(現 下関南部町郵便局、1900年、下関市、国の登録有形文化財)
- 旧京都郵便電信局(現 中京郵便局、1902年、吉井茂則と共同設計、京都市中京区、京都市登録文化財)
- 東京商船大学天体観測所(1903年)
- 東京市立日比谷図書館(1908年、現存しない)[1]
- 吉林領事館(1909年)
- 牛荘領事館(1912年、中華人民共和国営口市)
- 奉天総領事館(1912年、中華人民共和国瀋陽市)
- 石原時計店(二代目)(1915年、大阪市、現存しない)
その業績
- 鉄網コンクリート工法の考案
- 木材・鉄骨の芯材としてラスを張ったものに、コンクリート塗りこむ工法で、耐火性と低価格をうたっていた。しかし、耐震性の問題から、あまり広まらなかった。
- 領事館建築の設計
- 個人事務所の開設後、外務省の嘱託として、中国東北部やロシア極東部において多くの領事館を設計した。設計した建築には、吉林領事館、奉天領事館、長春領事館、牛荘領事館などがある。三橋が亡くなったのは、領事館建築の設計監理のため滞在中のウラジオストックにおいてであった。
- 著作「和洋改良大建築学」(明治37-44年)
- 日本人による初めての体系的な建築学の書である。
脚注
- ^ ヌーボー式新建築の日比谷図書館竣工新聞集成明治編年史第十三卷、林泉社、1936-1940
関連項目
- 一時期、三橋建築事務所に在籍していた。
参考文献
- 「建築雑誌 第30輯第349號」、1916年、建築學會
- 「明治人名辞典 下巻」、1987年、日本図書センター
- 「海を渡った日本人建築家」、1996年、西澤泰彦著、彰国社
- 「大日本帝国の領事館建築」、2007年、田中重光著、相模書房
外部サイト
- 三橋四郎設計の石原時計店(二代目)の画像を掲載