ロレト (バハ・カリフォルニア・スル州)
ロレト Loreto | |
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位置 | |
位置 | |
座標 : 北緯26度00分46秒 西経111度20分36秒 / 北緯26.01278度 西経111.34333度 | |
行政 | |
国 | メキシコ |
州 | バハ・カリフォルニア・スル州 |
郡 | ロレト郡 |
市 | ロレト |
人口 | |
人口 | (2019年現在) |
市域 | 20,385人 |
ロレト(Loreto)は、メキシコのバハ・カリフォルニア・スル州にある自治体で、ロレト郡の筆頭市。
1697年から1777年までの間、ラス・カリフォルニアス(バハ・カリフォルニアとアルタ・カリフォルニア)の州都だった。
概要
ロレトはバハ・カリフォルニア半島でもっとも古い歴史を持つ都市であり、古い建築物が残っている。ロレト国際空港(LTO)とロサンゼルス間をアラスカ航空の定期便が結んでいる。
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地理
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歴史
ロレトは、バハ・カリフォルニア半島におけるヌエバ・エスパーニャ副王領の最初の植民地だった。
この地に真水の泉が絶え間なく流れだすことを発見したイエズス会の宣教師によって、1697年にミッション・ヌエストラ・セニョーラ・デ・ロレト[2]伝道所として最初に作られた。イエズス会は1767年に追放され、バハ・カリフォルニアの宣教はフランシスコ会の手に渡された。1769年になるとバハ・カリフォルニアの宣教はドミニコ会の手に渡され、フランシスコ会はガスパル・デ・ポルトラの探検に同行し、未だ探検されていない北方のフロンティア(のちのアルタ・カリフォルニア)に新しい伝道所を建てることになった。探検隊は1769年3月24日にロレトを出発した[3]。
ロレトは、町の建設から、モントレーに州都が移される1777年2月3日まで、ラス・カリフォルニアスの州都だった。その後、ロレトにはカリフォルニア・ビエホ(バハ・カリフォルニア)副総督の所在するところになった。1804年、ラス・カリフォルニアスはアルタ・カリフォルニア(今日のアメリカ合衆国カリフォルニア州)とバハ・カリフォルニアに分裂した。
メキシコ独立後もロレトはバハ・カリフォルニア州都だったが、1830年に大雨によって町が破壊され、州都はラパスに移った[4]。
脚注
- ^ “Listado de Pueblos Mágicos(SECTURによるプエブロ・マヒコの規定、と一覧)”. Sectur (2014年). 2015年1月28日閲覧。
- ^ イタリアにある聖地ロレートの聖母マリアを意味する
- ^ Bolton, Herbert Eugene (1927). Fray Juan Crespi: Missionary Explorer on the Pacific Coast, 1769-1774. University of California Press. pp. 62–63 (HathiTrust)
- ^ History, Visit Baja Califronia Sur