レオポルディーネ・フォン・シュテルンベルク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
レオポルディーネ・フォン・シュテルンベルク
Leopoldine von Sternberg
リヒテンシュタイン侯妃
在位 1772年2月10日 - 1781年8月18日

出生 1733年12月11日
オーストリア帝国の旗 ハプスブルク帝国ウィーン
死去 (1809-06-27) 1809年6月27日(75歳没)
オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国フェルツベルク
埋葬  
オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国ヒュッテルドルフ小教区聖堂ドイツ語版
配偶者 リヒテンシュタイン侯フランツ・ヨーゼフ1世
子女 本文参照
父親 フランツ・フィリップ・フォン・シュテルンベルク伯爵
母親 レオポルディーネ・フォン・シュターレンベルク
テンプレートを表示

マリア・レオポルディーネ・ヴァルブルガ・エーファ・フォン・シュテルンベルク(Gräfin Maria Leopoldine Walburga Eva von Sternberg, 1733年12月11日 ウィーン - 1809年6月27日 フェルツベルク)は、リヒテンシュタイン侯フランツ・ヨーゼフ1世の妻。

生涯[編集]

在ポーランド皇帝大使を務めた外交官フランツ・フィリップ・フォン・シュテルンベルク伯爵(1708年 - 1786年)とその妻の伯爵令嬢レオポルディーネ・フォン・シュターレンベルク(1712年 - 1800年)の間の第二子、長女。皇帝大使・墺領ネーデルラント総督を務めたシュターレンベルク侯ゲオルク・アダムドイツ語版は母方叔父。1750年7月6日フェルツベルクでリヒテンシュタイン侯子フランツ・ヨーゼフと結婚。夫妻の間には8子が生まれた。

  • ヨーゼフ(1752年 - 1754年) - 夭折
  • レオポルディーネ(1754年 - 1823年) - 1771年ヘッセン=ローテンベルク方伯カール・エマヌエルと結婚
  • マリア・アントニア(1756年 - 1821年)- 修道女
  • フランツ(1757年 - 1760年) - 夭折
  • アロイス1世(1759年 - 1805年) - リヒテンシュタイン侯
  • ヨーハン1世(1760年 - 1836年) - リヒテンシュタイン侯
  • フィリップ(1762年 - 1802年)- 未婚のまま逝去
  • マリア・ヨーゼファ(1768年 - 1845年) - 1783年エステルハージ・デ・ガランタ侯ニコラウス(2世)と結婚

レオポルディーネは義妹エレオノーレ・フォン・リヒテンシュタイン侯爵夫人を中心とする神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世の側近サークル「5人の侯爵夫人(Die fünf Fürstinnen)」の1人として、ヨーゼフ2世の治世には大きな勢力をもった。1772年、義理の叔父ヨーゼフ・ヴェンツェルが子供のないまま死ぬと、夫が侯爵家の家督を相続した。1781年未亡人となった後は、ウィーン・ヒュッテルドルフドイツ語版に住む末娘の許に身を寄せた。ヴラナウ英語版のリヒテンシュタイン家代々の墓所には入らず、末娘と住んでいたウィーンのエステルハージ邸にほど近いヒュッテルドルフ小教区聖堂ドイツ語版に埋葬された。

出典[編集]

  • Cercle d'Études des Dynasties Royales Européenes.