ルマン・LM05C

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ルマン・LM05Cは、1985年全日本耐久選手権(後のJSPC)参戦用にルマンガレージ(現株式会社ルマン)が開発したグループCカー

概要[編集]

エンジンは日産の2.3L 直列4気筒ターボ FJ23型を搭載。同時期にV型6気筒 VG30型搭載車がデビューしたため、日産最後の直列4気筒エンジン搭載Cカーである。

デビューレースは1985年富士500マイル(0周リタイヤ)。続く鈴鹿1000kmでもリタイヤに終るが、豪雨となったWEC-JAPANでは中子修の手により2位入賞と大金星を上げる。最終戦富士500kmでは予選で8番手と好位置を得るものの、決勝ではクラッシュし0周リタイヤに終る。この年のスポンサーはアパレルのパーソンズ。

1986年は、チームルマンにもVG30が供給されることになり、LM05Cにも搭載されテストされたが、シャシー剛性が不足しVG30のパワーを受け止めることができず断念。チームルマンはマーチ・86Gシャシーを導入することとなる。

エンジンを失ったがLM05Cだが、トヨタから2.1L 直列4気筒ターボ4T-G型の供給を受けることとなり、また新スポンサーとしてキャラ・インターナショナルが付き、第4戦鈴鹿1000kmからLM06/トヨタとして参戦を再開する。最終戦富士500kmでは10位入賞する。

1987年シーズンは、4バルブの3S-G型の供給を受け、リアカウルを改良しLM07/トヨタの名前でエントリー。富士1000km、鈴鹿1000kmで7位入賞した他、雨天となった富士500km予選では中子の手により2位、同じく雨の富士500マイルでも快走する。スポンサーはアパレルのベストハウスだった。

参戦はこの年限りで、以降ルマンガレージのグループCカーは製作されていない。

関連項目[編集]