ヤルムークの戦い

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アラブ・東ローマ戦争
636年8月20日
場所ヤルムーク川
結果 正統カリフの勝利
衝突した勢力
正統カリフ 東ローマ帝国
ガッサーン朝
指揮官
ハーリド・イブン=アル=ワリード
アブー・ウバイダ
アムル・イブン・アル=アース
ヘラクレイオス(この戦いには直接参加せず)
テオドロス・トリテュイオス
ジャバラ・ブン・アル=アイハム

ヤルムークの戦い(英:Battle of Yarmouk)はヨルダン川の支流ヤルムーク川で、正統カリフ東ローマ帝国とその同盟国であるガッサーン朝に勝利し、シリア地方の支配を決定的にした戦いである。

経過

砂漠の戦いに慣れた正統カリフのアラブ軍は、砂嵐に乗じてまず同じアラブ人のガッサーン朝の軍を突き崩して東ローマ軍を包囲し三角州に追い詰め、敵軍を次々川に払い落して行った。川を渡った者もアラブ騎兵が追撃し多くを打ち取った。東ローマ軍は、指揮官テオドロスをはじめ、半数が戦死し、シリア軍団は壊滅した。

この戦いの後、正統カリフはエルサレムアレッポアンティオキアといった、主要都市に駐屯する東ローマ軍を殲滅し、ヤルムークから1年後にシリアを制覇した。ハーリドはこの戦いの後、北上してアナトリアに攻め込みヘラクレイオスが率いる軍勢を打ち倒し、東アナトリアとアルメニアを占領した。

参考文献

世界の歴史〈8〉イスラム世界 河出文庫

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