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メアリー・オブ・グエルダース

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メアリー・オブ・グエルダーズ

メアリー・オブ・グエルダーズ(Mary of Guelders, 1434年 - 1463年12月1日)は、スコットランドジェームズ2世の王妃。オランダ語名はマリア・ファン・ヘルレ(Maria van Gelre)、ドイツ語名はマリア・フォン・ゲルデルン(Maria von Geldern)。

後にエフモント伯ラモラール(1522年 - 1568年)を輩出するエフモント家の出身で、ネーデルラントから北ドイツにかけての領邦君主であるゲルデルン公アルノルトと、カタリナ・ファン・クレーフ(カタリーナ・フォン・クレーフェ)の長女として、フラーフェ(現在のオランダ北ブラバント州)で生まれた。

1449年7月、ホリールード寺院でジェームズと結婚した。メアリーの母方の曾祖父がブルゴーニュ公ジャン(無畏公)であることが、王妃に迎えられる決め手となったと言われている。7子を生む。夫がわずか30歳で事故死したため、幼いジェームズ3世の摂政を務めた。敬虔なキリスト教徒であり、夫を記念してトリニティ・カレッジ教会エディンバラ旧市街)を建てた。亡くなるとこの教会に葬られたが、1848年にホリールード寺院へ移された。

子女

  • ステュアート(1450年、夭折)
  • メアリー(1451年 - 1488年) アラン伯トマス・ボイドの妻
  • ジェームズ3世(1453年 - 1488年)
  • マーガレット
  • アレグザンダー(1454年 - 1485年) オールバニ公
  • デイヴィッド(1455年 - 1457年) マリ伯
  • ジョン(1459年 - 1479年) マー伯