ミヒャエル・ラングレン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。EmausBot (会話 | 投稿記録) による 2013年3月30日 (土) 22:31個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (ボット: 言語間リンク 5 件をウィキデータ上の (d:Q1353095 に転記))であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ミヒャエル・ラングレン(Michael Florent van Langren、ラングレヌスとも呼ばれる、1598年 - 1675年)は、17世紀ネーデルラント(現ベネルクス三国)の数学者、天文学者。1645年に最初のの地図を出版した。

人物

オランダの地図製作者アーノルト・ファン・ラングレンの息子である。ミヒャエルが生まれたとき、一家は宗教的な理由で、南ネーデルラントに移住していた。1645年最初の印刷された月面図 Plenilunium(『満月』)を出版した。この中で月の表面の模様の暗い部分に(Mare) や大洋(oceanus)をつけて命名し、多くの功績を残しブリュッセルで没した。

月のクレーター、ラングレヌスはラングレンの名にちなんで命名された。

関連項目