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マサチューセッツ州会議事堂

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マサチューセッツ州会議事堂(マサチューセッツしゅうかいぎじどう、Massachusetts State House)は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州の州知事室、州政府の事務所、および州議会を擁する建物。同州の州都ボストン市の中心部、ビーコンヒル地区に位置する。

建物概要

マサチューセッツ州会議事堂はビーコンヒルの丘の頂上、約27,000m²の敷地に建っている。それまでの州会議事堂に代わる庁舎として建てられ、1798年に完成した、周辺で最も古い建物である。その後19世紀中盤から20世紀初頭にかけて、4度にわたって増築がなされた。

建物のシンボルである屋根のドームは木製で、金箔が張られている。しかし、最初から金箔張りであったわけではない。最初、1802年に張られたのはであった。ドームに金箔が張られたのは1874年のことであった。ドームの頂上にはマツの実を模した飾りがつけられている。これは、当時マサチューセッツ植民地の飛び地であったメイン州を表している。

庁舎の入り口にはジョセフ・フーカーの騎馬像やジョン・F・ケネディの像をはじめとするいくつもの像が立ち並んでいる。

最初からあった赤レンガ造りの建物には知事室とマサチューセッツ州上院が入っている。知事室は西端に、上院はドームの直下にそれぞれ位置している。マサチューセッツ州下院は増築されたほうの建物の西側に入っている。下院の会議場には1784年に地元の商人から贈られた「聖なるタラ」が飾られている。この「聖なるタラ」は初期のマサチューセッツ州経済における漁業の重要性を示すものである。

歴史

旧州会議事堂

旧州会議事堂

旧州会議事堂(Old State House)は1713年に建てられ、80年以上にわたって使用されていた歴史的建造物である。ボストン市内のワシントン通り(Washington Street)とステート通り(State Street)の角に位置する。

建てられた当初は、1階が通商取引所、地下は倉庫になっていた。2階は3部に分かれ、東側は総督の執務室に、西側はマサチューセッツ植民地の最高裁判所にそれぞれなっていた。中ほどは植民地議会の会議場になっていた。この会議場は回廊に飾られた、議員の肖像画をはじめとする数々の絵画でも知られていた。

1761年弁護士のジェームス・オティス(James Otis)がここで裁判を起こした。裁判には負けたものの、裁判中に行ったオティスの弁論は後に独立戦争へとつながるものであった。1776年7月18日、この建物の東側のバルコニーで、アメリカ独立宣言が群集に向けて高らかに読み上げられた。

独立戦争後20年ほどの間、この建物はマサチューセッツ州の州会議事堂として使われた。1798年に州会議事堂は現在の位置に移設されたが、その後1830年から1841年にかけてボストンの市庁舎として使用された後、この建物は商用に転用された。1881年、この建物を解体してシカゴに移設する計画が持ち上がったが撤回され、外観の修復がなされた。

現在では、旧州会議事堂は博物館となっており、フリーダムトレイルに沿ったボストンの観光名所のひとつとなっている。同建物内にはボストン・ソサイエティ(The Bostonian Society)の本部も置かれている。また、州内のウェイマス(Weymouth)町庁舎や、ボストン郊外のミルトン(Milton)にキャンパスを構えるカリー・カレッジ(Curry College)の学生寮のうちの1棟は、この旧州会議事堂のレプリカである。

現在の州会議事堂

現在のマサチューセッツ州会議事堂

現在の州会議事堂は、旧州会議事堂に代わる庁舎として1798年に建設されたものである。しかし次第にこのレンガ造りの庁舎が手狭になったため、州の中央部に州都を遷都し、新たな州会議事堂を建設する提案が持ち上がった。しかしその提案は実行されず、庁舎は4度にわたって増築されることになった。

最初の増築は1831年に行われ、建物の後部が拡張された。その後チャールズ・ブリガム(Charles Brigham)によって、1853-56年1889-95年の2度にわたる増築が行われ、このときにマサチューセッツ州下院が増築されたほうの建物に移転した。4度目の増築となる1914-17年には、もとの庁舎の東西がそれぞれ拡張された。

庁舎の外観も数回にわたって変わった。1825年には建物全体が白く塗られた。その30年後、1855年には黄金色に塗り替えられた。4度目の増築の際に、庁舎は白く塗り直された。1928年、それまでの塗装が全て剥がされ、もとの赤レンガの色に戻った。その後塗装は行われず、現在でも赤レンガそのものの色が残っている。

建物だけでなく、ドームの色もまた数回にわたって変わっていった。1802年に銅で覆われた後、ドームは灰色と薄黄色に塗られた。1831年にはドームが灰色に塗り替えられた。ドームに金箔が張られ、現在の姿になったのは1874年のことである。しかし第二次世界大戦の最中、敵機による爆撃を避けるため、一時的にドームが灰色に塗られていた。

2001-02年にかけて、庁舎には大掛かりな外観修復工事がなされた。

外部リンク

地図