マキイフカ
座標: 北緯48度5分 東経38度4分 / 北緯48.083度 東経38.067度
マキイフカ Макіївка | ||
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北緯48度05分 東経38度04分 / 北緯48.083度 東経38.067度 | ||
国 | ウクライナ | |
州 | ドネツィク州 | |
設立 | 1696年 | |
政府 | ||
• 市長 | Oleksandr Maltsev | |
面積 | ||
• 都市 | 218 km2 | |
人口 (2005年) | ||
• 都市 | 389,589人 | |
ウェブサイト | http://www.makeyevka.dn.ua/ |
マキイフカ(ウクライナ語: Макіївка, [mɐˈkijiu̯kɐ] マキーイウカ)、もしくはマキェエフカ(ロシア語: Макеевка, [mɐˈkʲe(j)ɪfkə])は、ウクライナ・ドネツィク州の都市である。
州都ドネツィクの北東郊外に位置し、ドネツィクとともにドンバス工業地帯の主な工業都市の一つである。大型製鉄所のマキーウカ冶金工場、コークスを製造するヤシニウスキー・コークス化学工場などが立地し、金属工業と化学工業を主とする。かつて多数存在した炭鉱は閉山している。
ウクライナ東部紛争以後は親露武装組織であるドネツク人民共和国が実効支配を行っている。
データ
歴史
マキーウカ地域の歴史は、ザポロージャ・コサックの集落ヤシニウカ(Ясинівка)の名が現れる17世紀末にさかのぼる。ヤシニウカをはじめ、現在のマキーウカ地域にある集落は当初コサックの集落として誕生した。
19世紀半ばに炭鉱開発が始まった。この地域の最初の炭鉱は1875年に操業を始めている。周囲の炭鉱はドン軍県のマキエフカ炭鉱地区となった。1899年、ディミトリーフスク(ディミトリーフシク、この地域の地主のイロヴァイスキー家のディミトリー・イロヴァイスキーに由来する)という集落の近くに金属工場と付属集落が作られた。ディミトリーフスクはマキエフカ炭鉱地区の行政・商業・文化の中心地となった。
1920年にディミトリーフスクと近くのマキエフカ村は併合しディミトリーフスク市となった。ディミトリーフスクは1931年にマキエフカ市に改名した。
第二次世界大戦では、ドイツ軍が1941年10月22日から1943年9月6日まで占領している。占領中、1942年3月より親衛隊のアインザッツグルッペンがゴルロフカ・マキエフカ両地区でユダヤ人の殺害を開始し、政治犯やサボタージュ活動者も含め500人近くを殺している。
ドンバス戦争では2014年4月13日より親露派分離主義組織に占領され、以後「ドネツク人民共和国」により支配されている。
出身者
- イェウヘン・セレズニョウ - サッカー選手
- オレクサンドル・ズブコフ - サッカー選手
- ドミトリー・ムセルスキー - バレーボール選手
- デニス・プシーリン-ドネツク人民共和国首長代行(指導者)
関連項目
- マキイフカ市電(廃止)