ポンチ絵

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ポンチ絵(ポンチえ)とは、日本明治時代に描かれた浮世絵の一種で、滑稽諷刺的な絵を指した。後の漫画の原点といえる。

概要

浮世絵におけるポンチ絵

文明開化期に日常使用されるようになった「ポンチ」という言葉は、1862年横浜イギリス人チャールズ・ワーグマンによって創刊された漫画雑誌ジャパン・パンチ』に由来する。この『ジャパン・パンチ』は1887年(明治20年)まで25年間にわたって木版刷りで刊行が続いており、幕末刊行号の幾つかに「パンチ」が訛ったカタカナ表記の「ポンチ」という言葉がみられる。ただし、1884年(明治17年)からは石版刷りとなった。毎号、在日外国人似顔絵を多用して諷刺して、情報誌としても役立つため居留地在住の外国人に人気を博し、仮名垣魯文日本人も関心を持ってみていた。

1874年(明治7年)、魯文と河鍋暁斎は『ジャパン・パンチ』に似せた『絵新聞日本地(えしんぶんにっポンチ)』と題した漫画を売り物とした定期刊行物を出版したころには、大多数の日本人がポンチの意味を知っていたに違いなく、1881年(明治14年)に小林清親戯画錦絵の『清親ポンチ』シリーズを版行したころにはポンチというのは日常語となっていたといわれる。また、1882年(明治15年)8月から清親が本多錦吉郎の後を継いで常連の投稿家として『團團珍聞』に風刺画を投稿し始めた。明治の前半期にはポンチは時局風刺画あるいは世相漫画の意味を有しており、それらは『ジャパン・パンチ』の作品を見て影響を受けたものが多数であった。暁斎、清親は『ジャパン・パンチ』を熱心に研究したことが知られ、ポンチの用語は、人民が主導で新国家体制を創ろうとしていた自由民権期に輝いた用語であった。しかし、1889年(明治22年)に大日本帝国憲法が発布されたことにより自由民権運動は終息を迎え、その後のポンチは次第に諷刺のエネルギーを喪失してゆく。清親はコマ漫画やふき出し入りの漫画を試みたりしたが、諷刺の鋭い漫画は少なく、1891年(明治24年)に創刊された『新滑稽』(新滑稽社刊)では清親は門人の田口米作を漫画担当として売り出し、『團團珍聞』の中心的漫画担当者として明治27年から明治35年まで米作を自らの後継者として育て始めた。

明治20年代末から30年代にかけて、子供だましの絵と化したポンチは今泉一瓢北沢楽天により「漫画」という新しい言葉に代わられていった。

工業製品の設計におけるポンチ絵

機械設計など工業製品の開発において、設計図の前段階として描画される概略図・構想図を正式な図面ではない「落書き」の意味合いでポンチ絵と称する。簡易な手書きで製品の各部の説明や稼働する際の機能が書き加えられることも多く、組織内部での説明や非公式の打ち合わせにしばしば用いられた。

20世紀後半以降にCADが普及し、コンピュータで簡易に図面作成ができるようになるとポンチ絵は徐々に用いられなくなったが、コンピュータの使用は邪道であり昔ながらの手描きポンチ絵でこそ有用な設計ができると考える技術者もいる。[1]

官公庁におけるポンチ絵

補助申請書などの公文書において、事業や計画の概要をダイヤグラム的に図示することで公文書の内容を補足した図面を正式な申請書や調書ではない非公式・非定型の「落書き」との意味合いでポンチ絵と称した。21世紀においても科学研究費助成事業をはじめとした競争的資金の申請においては、ポンチ絵の提出が盛んに求められており、ポンチ絵の出来栄えが申請の可否に大きく影響することも少なくない。

また、1990年代以降、官公庁においても急速にオフィス・オートメーションが普及すると、プレゼンテーションソフトウェアを使用して事業などの内容を図表化・図示化した資料のこともポンチ絵と称するようになった。従来の公文書よりも分かりやすいものとして組織内の説明や審議会などの配布資料にも不可欠となり、中央省庁の官僚にとってポンチ絵の作成は基礎的かつ必須の技能となっている。

公文書は官僚制の帰結としてしばしば多義的・あいまいであったり、真意を覆い隠すための冗長な表現があったり、行間を読まなければ真意が分からないことが多いが、ポンチ絵も例外ではなく、理解を助けるための図表であるはずが複雑に組み合わされたテキストボックスや矢印により極めて晦渋な図となっていることも少なくない。

脚注

  1. ^ 平野重雄ほか「252 機械設計におけるポンチ絵の有用性について(OS 設計教育・CAD教育(II))」(公開研究会・講演会技術と社会の関連を巡って : 技術史から経営戦略まで : 講演論文集 2014)

参考文献

  • 吉田漱 『浮世絵の基礎知識』 雄山閣、1987年
  • 山梨絵美子編 『日本の美術368 清親と明治の浮世絵』 至文堂、1997年
  • 荒田洋治『日本の科学行政を問う: 官僚と総合科学技術会議』 薬事日報社、2010年

関連項目