ボードゥアン5世 (フランドル伯)

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ボードゥアン5世
Baudouin V
フランドル伯
在位 1035年 - 1067年

出生 1012年
死去 1067年9月1日
配偶者 アデル・ド・フランス
子女 ボードゥアン6世
マティルド
ロベール1世
家名 フランドル家
父親 フランドル伯ボードゥアン4世
母親 オトギファ・フォン・ルクセンブルク
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ボードゥアン5世フランス語Baudouin V, 1012年 - 1067年9月1日)は、フランドル伯(在位:1035年 - 1067年)。「敬虔伯(le Pieux)」あるいは「リールのボードゥアン(ボードゥアン・ド・リール、Baudouin de Lille)」と呼ばれる。ボードゥアン4世の息子。高祖父アルヌルフ1世の母親はイングランドウェセックスアルフレッド大王エアルフスウィスマーシアオファ玄孫)の王女エセルフレダであり、イングランド王家と遠戚関係にあった。

生涯[編集]

1028年フランスロベール2世(敬虔王)の王女アデルと結婚した。彼女の扇動によってボードゥアンは父ボードゥアン4世に反抗するが結局父子は講和を結び、ボードゥアン4世は最期まで伯位を保った。そして1035年のボードゥアン4世の死去を受けて伯位を嗣いだ。

ボードゥアン5世は、1046年から1056年に亘る下ロートリンゲン公ゴットフリート3世神聖ローマ皇帝ハインリヒ3世との戦いを支援した。最初はヴァランシエンヌエノー伯エルマンに敗れたものの、1049年にエルマンが死去するとその未亡人リシルドと息子ボードゥアン6世を結婚させ、エノーを事実上フランドルの支配下に収めた。この婚姻はハインリヒ3世の歿後、その子ハインリヒ4世の摂政となっていたアニェスアキテーヌギヨーム5世の娘)からの承認を得た。

1060年から1067年までボードゥアン5世は義理の甥であるフランス王フィリップ1世の後見人も務めた。1067年に死去し、長男のボードゥアン6世が伯位を嗣いだ。

子女[編集]

アデルとの間に以下の子女をもうけた。

先代
ボードゥアン4世(髭伯)
フランドル伯
1035年 - 1067年
次代
ボードゥアン6世(善良伯)