フラフラ豪傑

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フラフラ豪傑
監督 池田富保
脚本 池田富保
原作 池田富保
撮影 中西与之助
久我範浪
製作会社 日活太秦撮影所第一部
配給 日活
公開 日本の旗 1925年3月20日
上映時間 66分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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フラフラ豪傑』(フラフラごうけつ)は、1925年(大正14年)製作・公開、池田富保監督による日本の長編劇映画、サイレント映画時代の剣戟映画である。

略歴・概要[編集]

1925年(大正14年)、日活太秦撮影所第一部が製作した作品で、「第一部」とは、1923年(大正12年)の関東大震災による東京の日活向島撮影所が京都に移転して以来、「第二部」となり現代劇を製作したのに対して、従来の時代劇を製作する部門を指す。黒雲魔太郎を演じた新妻四郎は、それまで撮影所の庶務係だった人物で、池田が抜擢し、本作をもって俳優に転向してスクリーンデビュー、のちには主演作もものす俳優となる[1]

当時の日活時代劇は、尾上松之助中心主義に翳りが見え始めた時期で、池田富保は、技師たちに反発されながらも、新しい時代劇映画を切り開いた[2]。映画史家の田中純一郎によれば、本作は、池田が監督した『渡し守と武士』(1924年)や『落花の舞』(1925年)、辻吉郎が監督した『新撰組』(1925年)、高橋寿康が監督した『鞍馬天狗』(1925年)とともに、「革新への一里塚」となった作品として挙げられている[2]。その革新とは、かつて「松之助」が演じた英雄のクリシェではなく、人間としての人格が与えられた、というものである[2]

本作の上映用プリントは、現在、東京国立近代美術館フィルムセンターにも[3]マツダ映画社にも所蔵されていない[4]。現在、鑑賞することの不可能な作品である。

スタッフ・作品データ[編集]

キャスト[編集]

[編集]

  1. ^ 『芸能人物事典 明治大正昭和』、日外アソシエーツ、1998年11月、「新妻四郎」の項。
  2. ^ a b c 日本映画発達史 II 無声からトーキーへ』、田中純一郎中公文庫、1976年1月10日 ISBN 4122002966, p.44-45.
  3. ^ 所蔵映画フィルム検索システム東京国立近代美術館フィルムセンター、2010年2月19日閲覧。
  4. ^ 主な所蔵リスト 劇映画=邦画篇、マツダ映画社、2010年2月19日閲覧。
  5. ^ Film Calculator Archived 2008年12月4日, at the Wayback Machine.換算結果、コダック、2010年2月15日閲覧。

外部リンク[編集]