ファニー・チェッリート

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ファニー・チェッリート

ファニー・チェッリートFanny Cerrito, 1817年5月11日 - 1909年5月6日、ファニー・チェリートとも)は、イタリアバレエダンサー振付家。本名は、フランチェスカ・チェッリート (Francesca Cerrito)。

生涯[編集]

ナポリ生まれで、カルロ・ブラジス、振付家ジュール・ペローアルチュール・サン=レオンについて学んだ。サン=レオンとは1845年に結婚し、1851年に離婚している。

チェッリートは1832年にナポリでデビューし、その後欧州各地を巡演してマリー・タリオーニカルロッタ・グリジファニー・エルスラールシル・グラーンなどと並んでロマンティック・バレエ期を代表するバレリーナの1人となり、1857年に引退した。よく知られているのは、『オンディーヌ』と『パ・ド・カトル』への出演である。

チェッリートは自らも『Rosida』(1845年)、『Gemma』(1854年)などの作品を振り付けている。

エピソード[編集]

チェッリートは1856年モスクワでの舞台出演時に火災に遭った。火傷や負傷は免れたが、それが引き金になって、翌年引退したという[1]

脚注[編集]

  1. ^ 舞台での火事では、クララ・ウェブスター1844年没)やエマ・リヴリー1863年没)が死去している。

参考文献[編集]