ヒュブラ・ヘラエア

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ヒュブラ・ヘラエア
Ὕβλα Ἡραία(ギリシア語)
別名 ヒュブラ・ヘラ(Ὕβλα Ἥρα
所在地 シチリアラグーザ県ラグーザ
地域 シチリア
種類 植民都市
歴史
建設者 シケル人
完成 定住開始は紀元前1000年以前
文化 古代ギリシア古代ローマ
ヒュブラ・ヘラエアの位置(シチリア州内)
ヒュブラ・ヘラエア
ヒュブラ・ヘラエア
ヒュブラ・ヘラエア (シチリア州)

ヒュブラ・ヘラエアまたはヒュブラ・ヘラギリシア語Ὕβλα ἩραίαὝβλα Ἥρα)はシケリア(シチリア)の古代都市で、現在の行政区分ではラグーザ県ラグーザラグーザ・イブラ地区に該当する。古代のシケリアには少なくとも3つ(おそらくは5つ)のヒュブラと呼ばれる都市があったが[1]、このために混乱があり、時には区別が非常に困難な場合もある[2]

歴史[編集]

ヒュブラ・ヘラエアは東ローマ帝国の地理学者ステファヌス(en)によってヒュブラ・マジョールとヒュブラ・マイノールとの区別のために、ヘラもしくはヘラエア(ἭραἩραία)のあだ名が付け加えられたものである。シケリアの「ヒュブラ」と呼ばれる街の中で、ヒュブラ・ヘラエアは最も古代の情報が少ない。ギリシアの旅行家パウサニアス(115年頃 - 180年頃)はヒュブラ・マジョールとヒュブラ・ミノールの区別はしているが、ヒュブラ・ヘラエアに関しては言及しておらず、古代の他の地理学者も同様である。しかし旅程表には、シュラクサイとアグリゲントゥム(現在のアグリジェント)の間にヒュブラと言う街があり、これは明らかにヒュブラ・マジョールでもヒュブラ・マイノールでもない(また、メガラ・ヒュブラエアでもヒュブラ・ゲレアティスでもない)。アントニンスの旅程表(ポイティンガー図)によると、このヒュブラはアクラエ(現在のパラッツォーロ・アクレイデ)から18マイルとなっている。ローマの政治家キケロ(紀元前106年 - 紀元前43年)の文章の中でシキリア属州の「ヘラ」と呼ばれている街はヒュブラ・ヘラエアのことと思われる[3]

脚注[編集]

  1. ^ The circumstance that there were so many towns called Hybla in Sicily probably arose from the fact mentioned by Pausanias, that there was a local divinity of the name. (Paus. v. 23. § 6.)
  2. ^ William Smith, Britain's foremost classicist of the 19th century, begins to describe Hybla Major with an admixture of locational and historic information from both Hybla Gereatis and Megara Hyblaea. Caution should therefore be used when assuming reference to "Hybla" in an ancient source refers to this city.
  3. ^ Cicero ad Att. ii. 1. § 5

参考資料[編集]

  •  この記事には現在パブリックドメインである次の出版物からのテキストが含まれている: Smith, William, ed. (1854–1857). Dictionary of Greek and Roman Geography. London: John Murray. {{cite encyclopedia}}: |title=は必須です。 (説明)

関連項目[編集]