パトリシア・モイーズ
パトリシア・モイーズ(Patricia Moyes、1923年1月19日 - 2000年8月2日)[1]は、イギリスの推理作家。アイルランド生まれ。 ロンドン警視庁(スコットランド・ヤード)のヘンリ・ティベット(Henry Tibbett)警部とその妻エミーが活躍する推理小説シリーズを執筆。 『死の贈物』(Who Saw Her Die、米版タイトルMany Deadly Returns)は1971年エドガー賞にノミネートされた[2]。
生涯
1923年1月19日、アイルランドの首都ダブリンでインド高等文官の父アーネスト・パッケナム・ウォルシュと母マリオン(モリー)・ストラチャンの娘に生まれる。オーバーストーン女学校で教育を受けたのち、1939年婦人補助空軍に入隊。
1946年、ピーター・ユスティノフに映画の技術助手として採用され、その後、8年に渡ってユスティノフの個人秘書を務めた。
1960年、イアン・カーマイケルらが主演した映画School for Scoundrelsの脚本を共同執筆。
職を転じ、ロンドンの「VOGUE」誌で編集補佐として働くかたわらジャン・アヌイの1940年の舞台 Léocadia を Time Remembered という題名で訳出[1]。この舞台が1958年のトニー賞に輝き[1]、成功を収めたモイーズはVOGUEを退職し、推理小説の執筆を始める。
1951年に写真家のジョン・モイーズと結婚(1957年に離婚)。のちに国際通貨基金で働くジェイムズ・ハスザードと再婚。
2000年8月2日、カリブ海のイギリス領ヴァージン・ゴルダ島の自宅で死去(死因は明かされていない)。77歳没。
作品リスト
ヘンリ・ティベット警部シリーズ
いずれも早川書房、ハヤカワ・ポケット・ミステリより刊行、のちハヤカワ・ミステリ文庫
- 『死人はスキーをしない』(Dead Men Don't Ski) 1959
- 『沈んだ船員』(The Sunken Sailor / 米版タイトル:Down Among the Dead Men) 1961
- 『死の会議録』(Death on the Agenda) 1962
- 『殺人ア・ラ・モード』(Murder a la Mode) 1963
- 『流れる星』(Falling Star) 1964
- 『大空に消える』(Johnny Under Ground) 1965
- 『殺人ファンタスティック』(Murder Fantastical) 1967
- 『死とやさしい伯父』(Death and the Dutch Uncle) 1968
- 『死の贈物』(Who Saw Her Die? / 米版タイトル:Many Deadly Returns) 1970
- 『雪と罪の季節』(Season of Snows and Sins) 1971
- 『第三の犬』(The Curious Affair of the Third Dog) 1973
- 『死は海風に乗って』(Black Widower) 1975
- 『ココナッツ殺人』(To Kill a Coconut / 米版タイトル:The Coconut Killings) 1977
- 『サイモンは誰か?』(Who Is Simon Warwick?) 1978
- 『死の天使』(Angel Death) 1980
- 『死のクロスワード』(A Six-Letter Word for Death) 1983
- 『死への夜行フェリー』(Night Ferry to Death) 1985
- 『黒い娘、白い娘』(Black Girl, White Girl) 1989
- 『ブルー・ムーン亭の秘密』(Twice in a Blue Moon) 1993
その他の作品
- Time Remembered (舞台、アヌイのLéocadiaの翻訳:1950)
- Helter-Skelter (子供向けミステリー:1968)
- After All, They're Only Cats (1973)
- How to Talk to Your Cat (1978)
- Who Killed Father Christmas/ And Other Unseasonable Demises (短編集:1996)
脚注
- ^ a b c パトリシア・モイーズ - IMDb(英語)
- ^ エドガー賞公式サイトのエドガー賞データベースで確認(2020年5月18日閲覧)
外部リンク
- パトリシア・モイーズ - Aga-search.com