ハンス・カン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。KasparBot (会話 | 投稿記録) による 2015年6月7日 (日) 14:26個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (Normdaten moved to wikidata)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ハンス・カン(Johann «Hans» Kann, 1927年2月14日 ウィーン  – 2005年6月24日 ウィーン)はオーストリアピアニスト作曲家・音楽教師。

ローマ・カトリックに改宗していたユダヤ人の夫妻、エーミール・クリスティアン・カン(Emil Christian (Israel) Kann、布帛売買業者)とカロリーネ・イェリネク(Caroline Jellinek)の子として生まれる。[1]

1946年より世界的な演奏旅行を行うが、オットー・シュールホーフOtto Schulhof、1889 ウィーン – 1958 ウィーン)の許で更なるピアノの研鑚を積む。

ウィーン国立アカデミーおよび東京藝術大学武蔵野音楽大学上野学園ダルムシュタット市立アカデミーにて教鞭を執る。また1977年から1995年まで、ウィーン高等音楽学校の教授に就任した。1987年よりウィーン・コンツェルトハウスにて昼の演奏会に出演。東京時代に、「全音ピアノピース」のために校訂者を務めた。

脚注

  1. ^ Das Jüdische Echo, Vol.56, p.170; Clavichord, Virginal und Spinett; Zum Andenken an den humorigen Vollblutmusiker Hans Kann, Robert Hanzlík