ハロルド・ハワード

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ハロルド・ハワード
本名 ハロルド・クラレンス・ハワード
(Harold Clarence Howard)
生年月日 1958年(65 - 66歳)
出身地 カナダの旗 カナダ
オンタリオ州ナイアガラフォールズ
国籍 カナダの旗 カナダ
身長 188 cm (6 ft 2 in)
体重 110 kg (243 lb)
階級 ヘビー級
スタイル 空手柔術
ランク 剛柔流 (黒帯3段)
糸東流 (黒帯2段)
総合格闘技記録
試合数4
勝利1
ノックアウト1
敗戦3
タップアウト3
総合格闘技記録 - SHERDOG
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ハロルド・ハワード(Harold Clarence Howard、1958年-)は、カナダ連邦オンタリオ州ナイアガラフォールズ出身の総合格闘家

来歴[編集]

初期の人生[編集]

オンタリオ州リッチモンドヒルで育ち、17歳の時に柔術会のスティーブ・レイノルズの下で柔術のトレーニングを始めた。1983年にナイアガラフォールズに転居し、ジェームズ・モーデン高校及びキリスト教青年会(YMCA)で空手と柔術を教えた。1984年に自分の教室を開き、競技者として活躍する傍ら、スポーツ空手やスポーツ柔術で世界レベルの弟子を何人も育てた。

柔術[編集]

1984年、カナダのスポーツ柔術の初代ヘビー級チャンピオンとなる。World Council of Ju-Jutsu Organizations (WCJO)主催の第1回世界柔術選手権では、ヘビー級で個人優勝したほか、カナダチーム(ヘビー級)も団体戦の金メダルを獲得した。

空手[編集]

1982年から1984年にかけて、カナダヘビー級空手選手権を3連覇している。1986年と1987年には、カナダのナショナルチームにも加わった。この時期は、カナダでトップクラスのスポーツ空手選手であった。

1988年に背中の手術で一線を退いたが、34歳だった1992年に復帰し、スポーツ空手の国内黒帯リーグで銀メダルを獲得した。無敗で決勝まで進んだが、怪我のために決勝の2試合を棄権せざるを得なかった。

総合格闘技[編集]

プロの戦績は1勝3敗、そのうちUFCでは1勝2敗であった[1]

私生活[編集]

既婚であり、息子2人と娘1人がいる。2009年まで、ナイアガラフォールズで護身術の小さな教室を開きつつ、屋根葺きの仕事を行っていた[2]

2009年12月22日、ハワードは2回の殺人未遂、2件の武器による暴行、警察からの逃走、自動車の危険運転、いたずら、逮捕後の2件の誓約違反等で起訴された。逮捕容疑の中には、自身の姉とその息子をハンマーで襲ったこと、また別居中の妻を連れ戻そうとしたこと、フォールズビューのカジノに自身の車で突っ込んだこと等が含まれると言われた[3]。これらの罪により、懲役5年の刑を受けた[4]

戦績[編集]

総合格闘技 戦績
4 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
1 1 0 0 0 0 0
3 3 0 0 0
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
× ウゴ・デュアルチ 1R 0:29 ギブアップ(パンチ) UVF 3 - Universal Vale Tudo Fighting 3 1996年8月14日
× マーク・ホール 1R 1:41 ギブアップ(打撃) UFC 7 1995年9月8日
× スティーブ・ジェナム 1R 1:27 ギブアップ(パンチ) UFC 3 1994年9月9日
ロナルド・ペイン 1R 0:46 KO(パンチ) UFC 3 1994年9月9日

出典[編集]

  1. ^ "Fighter Profile". fightmagazine.com. {{cite web}}: Cite webテンプレートでは|access-date=引数が必須です。 (説明)
  2. ^ "Harold Howard: Where Is He Now?". Sherdog. {{cite web}}: Cite webテンプレートでは|access-date=引数が必須です。 (説明)
  3. ^ Ricciuto, Tony (2011年11月14日). “Truck crashes through casino entrance”. Niagara Falls Review. 2011年11月20日閲覧。
  4. ^ *Updated* Mulletted UFC Meme Harold Howard Sentenced to Five Years in Prison”. Cagepotato. 2011年11月20日閲覧。

外部リンク[編集]