ハリー・ブルーム

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ハリー・ブルームHarry Bloom1913年 - 1981年)はユダヤ系南アフリカ人ジャーナリスト、小説家、政治活動家。南アフリカのウイットウォータズランド大学で学んだ後、1963年イングランドに亡命するまでヨハネスブルグで弁護士を務めた。俳優のオーランド・ブルームの養父。ハリー・ブルームの死後、オーランドの実父は家族ぐるみの友人であったコリン・ストーンであることが明らかになった。

小説家としての第1作は1956年発表の『エピソード』(後年『トランスヴァール・エピソード』に改題)。この小説は1952年から53年にかけてアフリカ民族会議が行った「不正な法律に対する不信任キャンペーン」(Defiance Campaign against Unjust Laws)の余波を受けてネルストルームという架空の町に起こった暴動を描いたもので、当時の南アフリカ政府から、アパルトヘイト政策の安全を脅かすものとして発禁処分を受けた。この小説は1956年のイギリス作家クラブ最優秀小説賞を受賞したが、授賞式出席のための出国許可が得られなかった。映画監督のリチャード・アッテンボローはこの作品にたいへん感銘を受け、これを原作にした映画を作ることを企画したが叶わなかった。代わりに制作されたのが『遠い夜明け』である。

1962年発表の小説第2作『ホイッテカーの妻』は、三か月間の拘留中に書かれた作品。また1961年には、『キングコング--アフリカ・ジャズ・オペラ』と題するミュージカルの脚本を手がけた。隔離地域出身の黒人ボクサーの悲劇を描いた作品で、南アフリカのみならず国際的にも、また多様な人種の観客から支持を集めた。

1963年にイングランドへ移住。1965年から1974年までイングランドのケント大学で法律学教授を務めた。1981年卒中で死亡。