ノート:ストイシャとムラデン

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あらすじ以外はすべて独自研究では?[編集]

この記事の日本語は無茶苦茶(助詞が不適切、受動態と能動態のかき分けができていない、主語が途中でどこかに消えてしまう……等々)でしたので、徹底的に修正しました。しかしこの記事の一番の問題は、あらすじ以外の節が、出典こそついているものの、ほとんど執筆者の個人的感想・見解にしか見えないところです。出典となっている書物を確認の上で、独自研究を徹底的に削除する必要があると思います。 --Tonbi_ko会話2015年1月5日 (月) 17:45 (UTC)[返信]

この記事は引用要件を満たしておりません[編集]

この記事は 2015年1月5日 (月) 17:40‎ ‎ 利用者:Tonbi ko氏の編集以後Wikipedia:引用のガイドライン/草案#引用の要件を満たしておりません。よって、Wikipedia:著作権問題調査依頼に従いこの場で広報し10日待ちます。10日たったのちこの状態が続くのならば削除依頼をかけます。あらかじめご了承ください。らんたん会話2015年1月19日 (月) 10:50 (UTC)[返信]

人のせいにしないでください。該当の編集は日本語として意味の通りづらい文章を修正したまでです。それ以降の版が引用要件を満たしていないのであれば、それ以前の版も満たしていないことになります。--Tonbi ko会話2015年1月19日 (月) 11:18 (UTC)[返信]
では聞きますがあなたは「ストイシャとムラデン」を読んだのですか?「はい」か「いいえ」でお答えください。らんたん会話2015年1月19日 (月) 13:17 (UTC)[返信]
無関係な要求には回答いたしません。論理的つながりのある対話を心がけてください。--Tonbi ko会話2015年1月19日 (月) 13:21 (UTC)[返信]
では独自研究テンプレートは除去して「この記事は引用要件を満たす」ということにしてこの議題は幕を閉じます。お疲れ様でした。らんたん会話2015年1月19日 (月) 13:33 (UTC)[返信]

(インデント戻します) 独自研究の疑いがあることと、引用要件を満たしているか否かはまったく無関係です。いいかげんまともにWikipediaの各種方針文章を読んでください。執筆者の独自見解や主観に基づく文章があれば、それは独自研究です。 --Tonbi ko会話2015年1月19日 (月) 13:42 (UTC)[返信]

なんで原典も読まずに「独自研究」と決められるのが理解が不能です。これ以上は貴殿充てのコメント依頼にてご回答お願いいたします。らんたん会話2015年1月19日 (月) 14:10 (UTC)[返信]
大変申し訳ありませんでした。Tonbi ko氏があまりにも多数の削除をかけていたのでこの記事も引用文献の要件を満たしていないのかと思いました。独自研究タグを貼っただけなのですね。大変失礼しました。でも当該記事の削除はしないでください。らんたん会話2015年1月19日 (月) 14:22 (UTC)[返信]
万が一のことがあるといけないので確認させてください。私はあなたの文章を随分直していますが、独自研究とみなして記述を大量除去することはほとんどしていません。なぜなら私はドラゴンというジャンルにはたいして詳しくはないからです。だからこそ、「独自研究の疑いがあるのでは?」というタグこそ大量につけてはいますが、記述そのものはほとんど除去してないはずですよ? ピアサだってそうでしょう? まさかとは思いますが、toroia氏とわたしを混同している部分はありませんか?--Tonbi ko会話2015年1月19日 (月) 14:30 (UTC)[返信]
これ以上『ストイシャとムラデン』と何もかかわりが無いことを当該ノートページに書き込まないでください。あなたははっきり言ってコミュニティを消耗させる利用者です。らんたん会話2015年1月19日 (月) 14:33 (UTC)[返信]
この記事と無関係な、私の編集内容に関わる苦情を先にここで言い出したのは、あなたの2015年1月19日 (月) 14:10 (UTC)の発言が最初です。--Tonbi ko会話2015年1月19日 (月) 14:38 (UTC)[返信]

(再)この記事は 2015年1月20日 (火) 16:36‎ 利用者:toroia氏の編集以後Wikipedia:引用のガイドライン/草案#引用の要件を満たしておりません。よって、Wikipedia:著作権問題調査依頼に従いこの場で広報し10日待ちます。10日たったのちこの状態が続くのならば削除依頼をかけます。あらかじめご了承ください。らんたん会話2015年1月20日 (火) 23:03 (UTC)[返信]

三つの質問があります。①私の編集以降、Wikipedia:引用のガイドライン/草案#引用の要件のうちどれを満たさなくなったのでしょうか。②また、私の編集以前は、引用の要件をすべて満たしていたのでしょうか。③そもそも、本記事のどこに「引用」があるのでしょうか。本記事の「物語」節は、参考文献で18ページにわたる民話を1,600文字にまとめたものであり、原文をそのまま採録する「引用」とはみなせません。--toroia会話2015年1月20日 (火) 23:25 (UTC)[返信]
利用者‐会話:らんたんにあるまさふゆ様がお書きになった部分をご確認ください。完全コピー&ペーストでなくともダメらしいのです。私もOKだと思っていました。だからこそ、下に「解説」なる文章をわざと入れたのです。これがダメだとなると一気に文章が2~3行でまとめることになりますが。でもそうなると「ストイシャとムラデン」ってどんなお話ですか?ということにもなるわけでして・・・。ウイキソースにはありますがセルビア語なんて一般人は読めませんしね・・・。らんたん会話) 2015年1月20日 (火) 23:45 (TC)
①『記事本文と被引用文の主従関係が明確であること」が満たさなくなった。つまり引用部分の方が解説部分よりも文章量が大きくなったということです。もちろん仮に大きくしても「質的」にも主従関係が逆転してはだめだそうです。②満たしていました。③物語とある項全文です。以上です。らんたん会話2015年1月20日 (火) 23:50 (UTC)[返信]
これは失礼しました。「要約」でも問題なのですね。ただ、はっきりと断言はできないのですが、グリム童話の一覧にあるグリム童話のページのように、民話についてのページの場合、「あらすじ」だけでも問題ないようです。さて①については言いたいことはわかりました。ただ②に関しては、(「物語」部分が引用だと仮定すると)「被引用文の出所を明示していること」は、以前から満たしていないと思われます。--toroia会話2015年1月21日 (水) 00:03 (UTC)[返信]
あらすじですと、この物語の場合は「昔々あるところに3人の娘がいました。竜によってさらわれました。その後身ごもっていた母からストイシャが生まれた。ストイシャは竜王となっていた王をねじ伏せた。その後竜王と義兄弟の契りを交わした。その後ストイシャはもっと強い竜帝王に勝負をいどんだ。決着は付かず死闘の果てに両者に友情が生まれ義兄弟の契りを交わした。その後ストイシャと竜帝王ムラデンは3兄弟の竜の領土に攻め入り、滅ぼした」これでは重要なストーリーが抜けてるところがいっぱいありますよね。ハンカチを見て勇者ストイシャが自分の姉だと分かった部分(それもさらわれた3人とも水汲み場で勇者ストイシャと知り合った)、竜王の食事を食べた、竜王の帰りの合図である矛を投げ返した、竜王をねじふせた部分、ウサギ、門番との会話。ラストシーン。全部重要でカットはできないのです。これでも要約したほうなのです。原文はもっとずっと長いです。なお、「竜の帰りの合図である矛」の部分は「天までとどく木」でも見られます。らんたん会話2015年1月21日 (水) 00:24 (UTC)[返信]
これは推測でしかないですが、グリム童話の場合翻訳者の文献でも死後50年を過ぎていたから単に著作権がきれていただけということでは?また有名な民話ですからいろんな解釈本を多数あらすじに入れたら問題ではなくなるでしょう(「ストイシャとムラデン」は1文献のみ)。それだけグリム童話の場合記事の書き手にとって有利な(記事にしやすい)民話だと僕は思います。でもウイキソースに全文が載ってるくらいですからストイシャとムラデン」は無名の民話ではございません。らんたん会話2015年1月21日 (水) 00:32 (UTC)[返信]

(インデント戻します)一般向けのページですが、著作権情報センターのQ&Aによると、民話や伝説については「そのまま書き写した場合、あるいは話の大筋はそのままで、枝葉において多少の修正増減を加えただけのような場合は、そこに新たな創作性は認められず、書き写した人の著作物ではありません」とのことです。そのため、本記事は引用の範囲を越えた著作物の要約にはあたらないことになります。(こうした著作物の考え方は、民話や伝説の作者が原則として不明だという前提にもとづいているようです。もちろん現代の口承文芸研究ではこの前提に対する異論もありますが、現状の著作権解釈では、民話や伝説のテクストは、それ自体では創作性のある著作物ではない、ということになります。)--toroia会話2015年1月21日 (水) 11:49 (UTC)[返信]

ってことはまさふゆ様の指摘は間違い!?らんたん会話2015年1月22日 (木) 14:40 (UTC)[返信]
Toroia様の言ってることが本当ですと、「Wikipedia:引用のガイドライン/草案#引用の要件」に文言を追加しないといけません。これは重要な事実です。もし本当ならコミュニティー全体での作業となりますし「神話ポータル」にもなんらかの注意書きが必要ですが、いかがでしょうか?お返事お待ちして要ります。らんたん会話2015年1月23日 (金) 05:21 (UTC)[返信]
Wikipedia:引用のガイドライン/草案#本方針の対象となる著作物」には「両国の著作権法の下で著作権の対象となっていない著作物は、パブリックドメインの著作物と扱われるため、本方針の対象ではありません」と明記されているので、文言の追加は不要です。らんたんさんは、御自分にとっての問題をただちにWikipedia全体の問題に結びつけようとする傾向がありますが、そういったことは、まず関連文書を精読してからお考えください。--toroia会話2015年1月23日 (金) 06:58 (UTC)[返信]
(追記)正直に言いますと、粗筋だけのこの記事には、個人的に特筆性がないと思います。同様の議論はノート:アララーの龍でもしましたが、個々の物語について詳細な議論が存在するグリム童話と違い、物語の粗筋を掲載する以上の発展が見込めないからです(ちなみに、アララーの龍を含め、らんたんさんの作成された他の民話項目も同じく特筆性がないと考えます)。--toroia会話2015年1月23日 (金) 14:58 (UTC)[返信]
いい加減にしてください。ここでノート:アララーの龍の論議を繰り返さないでください。なおウイキソースにあるのですから特筆性はあるに決まってるでしょ。らんたん会話2015年1月25日 (日) 01:19 (UTC)[返信]
ってかToroiaさん、あなた2次著作物ってご存知ですか?この本は翻訳した2次著作物を持ってきたものです。ということは著作権は切れてないのです(両国の著作権法の下で著作権の対象となっていない著作物=我が国の著作権法にはあるということ→このケースには該当しない)。何を言ってるのですか。ということはやっぱりまさふゆ様の方が正しいと言うことじゃないですか。Toroiaさん、あなた法律家ですか?それとも著作権登記の代行が出来る行政書士資格とかお持ちですか(試験が受かってるだけでもいいですよ)?知らないのに法のことをあーだこーだ言うのは大変よろしくないと思いますが。当然、翻案した訳文だってあるのでは?だから、Wikipediaって信頼性が低いのです。だから、あなたも信頼できないらんたん会話2015年1月25日 (日) 01:29 (UTC)[返信]
独自研究も引用要件を満たしていないこともどちらも問題です。引用要件が満たされなくなってしまうから独自研究が許されるなどという事はありません。もし独自研究部分を取り除くと引用要件を満たせない記事になってしまうのであれば、それは独自研究部分を削除したToroiaさんではなく記事作成者のらんたんさんの責任だと私は考えます。そのような記事は初めから作成するべきでは無いです。もちろん書いているうちに図らずもそのような記事になってしまったという事も起こりうるでしょうが、らんたんさんの他の執筆記事を拝見するに、意図的にそうした執筆スタイルを選択しているとしか思えません。--雲霞会話2015年1月25日 (日) 03:14 (UTC)[返信]
雲霞様、それ以前に「ストイシャとムラデン」をお読みになりましたか?何を持って「独自研究」とするのですか。線引きはどこにありますか?独自研究と独自研究じゃない線引きってなんですか?上のToroiaさん、これ原文どころか参考文献にある「ストイシャとムラデン」を読んでませんよ。単に「らんたん」が気に食わない。ただそれだけでは。少なくとも参考文献も読まずに「独自研究だ」と騒ぐのは一発アウトでは?とにかく何か意見言う前に原典をお読みになってはいかがでしょうからんたん会話2015年1月25日 (日) 05:21 (UTC)[返信]

(インデント戻します)らんたんさんがいったいどういう方向に持って行きたいのかわからないのでなんとも返事のしようがないのですが、一つ。私は『ユーゴスラビアの民話1』を読みましたよ。だからこそ18ページ分あるということも知っていますし、「「解説・補説」なる独自研究を削除しました」の節を書くこともできたのです。「独自研究と独自研究じゃない線引き」はWikipediaの関連文書を精読して勉強してください。関連文書を読め、と何回も言われているはずですが、なぜしないのですか。--toroia会話2015年1月25日 (日) 05:38 (UTC)[返信]

リンクが無い。それに2次著作物の意味も分かってない人が人に講釈する資格なんかないよ。しかもここで「アララーの龍」の事を持ち出さないでください。解決済みでしょう?伏儀様とお話しして特筆性はあったと結論になったわけでしょう。もういい加減にしてください。らんたん会話2015年1月25日 (日) 05:43 (UTC)[返信]
「Toroiaさん、これ原文どころか参考文献にあるストイシャとムラデンを読んでませんよ」と言い出したのはご自身なのですから、それを誤魔化して論点を変えるのは卑劣な振る舞いだと私は考えます。論点を変えるにしてもまずは謝罪するのが筋ではないでしょうか?(別に謝ったら負けとかそんな事ないんですし)--雲霞会話2015年1月25日 (日) 08:21 (UTC)[返信]
らんたんさんのノートでの言動はとにかく「謝らない、負けを認めない」を第一戦略に置いていて、逆に負けを認めると今度は相手の言い分を丸呑みする所があるように見えます。こうした両極端な姿勢が事態を必要以上に複雑化しているのではないでしょうか。受け入れるところは受け入れ、主張すべき所は主張し、謝罪すべきところは謝罪す、それぞれ独立してこなしていけばいいだけだと思うのですが……。--雲霞会話2015年1月25日 (日) 08:29 (UTC)[返信]

ログインしたら通知でアラートがでたので何事かと思いましたが、また「特筆性」ですか。あれだけ懇切丁寧に説明したのに納得しないとは。(旧称:特筆性のWP:Nは、いかに記事を存続させるかを念頭に全面改訂されています)。らんたん殿も、(独自研究と指摘された記述に出典にあるなら)、再度の加筆は妨げられません。「そのような記事は初めから作成するべきでは無いです。」についても、Category:グリム童話Category:イソップ寓話の記事が先例としてありますから、気にせずこれからも記事作成できますよ。らんたん殿は、焦っていると言うより怒っておられるようですが、正直なぜ怒るのか分かりません。--伏儀会話2015年1月25日 (日) 14:12 (UTC)[返信]

その考えはどうなんでしょうか。まず、民話や伝説をフィクション作品の一種だとするならば、「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません」にあるように、「フィクション作品およびその構成要素について解説されているのがあらすじの概要だけであってはなりません」。Wikipediaは民話集ではありませんからね。また「Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクション関連)#特筆性」にあるように、「経験則として、あるトピックが充分に特筆すべき事柄なのであれば、適切な二次資料が存在するはずであり、また理想的には、記事が作成されたときにすでに二次資料が含まれているべきです」。内容が粗筋だけで、それ以上の二次資料の追加が見込めない記事の作成は好ましくないでしょう。また、何年も前から同様の記事が存続しているだけでは、新たに同様の記事を作成してよい理由にはなりません。--toroia会話2015年1月25日 (日) 19:33 (UTC)[返信]
「そのような記事は初めから作成するべきでは無いです。についても、Category:グリム童話やCategory:イソップ寓話の記事が先例としてありますから、気にせずこれからも記事作成できますよ。」とのことですが、どうも誤読されているようです。私個人は特筆性を問題にしたこともなければ「ストイシャとムラデン」自体の存続を問題にした事もありません(一度読み返してみてください)。--雲霞会話2015年1月25日 (日) 23:18 (UTC)[返信]
toroia殿へ。私はらんたん殿が何でもかんでも一人で抱え込む必要はないといっているだけですよ。二次資料の収集まで押しつけて、できないなら作成するなとおっしゃる。二次資料が存在しないことを証明する責任は、削除依頼者や「記事を作るな」と催促する側にあります。WP:Nをお読み下さい。読んでも理解できないなら、ノートの合意が全面改定で反映されていないということなので、どうぞその旨をあちらのノートへお願いします。(いやみで言っているのでなく、改定の議論が相当紛糾しているので、改定に漏れがあるかもしれません)。
雲霞殿へ。これは失礼しました。私も「特筆性」の話を雲霞殿にまでふる気はありません。「特筆性(旧称)の話はやめろ」といっているだけです。(あなたに、ではないですよ。) 今回のケースは、「1.マイナーな民話のあらすじでWikipediaに貢献できる」「2.私なりの解説も盛り込もう」というスタンスで、2が独自研究として問題にされているだけですね。心配なされていた引用については、下の節で解決済みのようです。失礼しました。
最後に、私は下の節でコメントしたように合意形成は済んで議論は終わっていると認識しています。修正の内容で議論になっただけで、この記事の作成が問題になった訳ではないです。あまり気にせず、記事投稿に励んでいただければと思います。皆様の今後のご活躍をお祈り申し上げます。--伏儀会話2015年1月26日 (月) 04:31 (UTC)[返信]
複数の「ガイドライン」が衝突するのはたまにあることですので、深入りするつもりはありません(しかも、見たところ議論は現在進行中のようですね)。ただ、「ガイドライン」よりも上位にある「方針」は当然優先されるべきでしょう。そして「ウィキペディアの記事は以下のようなものであってはなりません」として「フィクション作品におけるあらすじのみの解説」が挙げられている以上、「あらすじのみ」の投稿をすすめることは「方針」に反する行為でしょう。--toroia会話2015年1月26日 (月) 08:19 (UTC)[返信]
深入りする気がないなら結構です。「特筆性」を持ち出したのはそちらですので、もういいとおっしゃるなら、「特筆性」が論点にならないよう今後気をつけて下さい。toroia殿のおっしゃっていることはWikipedia:加筆依頼Wikipedia:修正依頼の根拠になりますが、スタブ状態の記事作成を止める理由にはなりません。民話記事にはWikipedia:特筆性 (音楽)に相当する文書がないため、削除依頼を最終手段としているWP:Nが当然適用されます。
WP:NOTについてですが、まさか削除が無理なら記事作成者を止めてしまおうなどと考えておられるのでしょうか。あなたが納得するまで何度でも言いますが、二次資料がないことを証明する責任は削除依頼の提案者にあります。削除依頼の方針が改定されているので、確認することをおすすめします。複数の「ガイドライン」が衝突しているのではなく、toroia殿が「方針」を読み切れていないだけです。(しょうがないとは思いますが)。WP:NOTは適用されたら無条件で削除しろとも、記事作成者が一人で直せとも言っていません。
最後に言っておきますが、記事の修正に反対するものではありません。toroia殿の修正提案は妥当だと思います。--伏儀会話2015年1月26日 (月) 09:20 (UTC)[返信]
私の意見を整理します。伏儀さんの再三のご指摘により、私がらんたんさん作成の記事について「特筆性の問題」として非難する際に依拠すべきページがWP:NではなくWP:INDISCRIMINATEであることがはっきりわかりました。意見の度重なる変更によって混乱させてしまったことをお詫びしますとともに、ご教示に感謝します。そのようなわけで、「あらすじだけでの立項」は望ましくない、というWP:INDISCRIMINATEに依拠した意見にかわりはありません。また、そもそも私は削除関係については一言も触れていませんし、ノート:アララーの龍でも明言していますように、あらすじだけの記事だからといって削除すべきだとも考えていません。
参考までにお聞きしますが、「二次資料がないこと」はどのようにすれば証明できたということになるのでしょうか。たとえば、私は『ユーゴスラビアの民話1』、日外アソシエーツの各年代版『民話・昔話全情報』、『決定版 世界の昔話事典』を参照し、さらにGoogleで「"Stojša and Mladen"」および「"Stojša i Mladen"」(Stojšaの異綴りを含め)を検索して「ない」と判断しましたが、これでは不足でしょうか。--toroia会話2015年1月26日 (月) 11:56 (UTC)[返信]
双方歩み寄れて幸いです。私もあらすじだけの状態が改善されればベストだと思います。削除されない記事は問題ないと考えて、加筆してくれる方が現れるまで気長に待ちましょう。「二次資料がないこと」は、正直証明するのが難しいと思います。(難しくするための改定ですから)。このケースですと、「セルビア語の資料はないの?」と聞かれてそれきりかと。ないと証明しても「クロアチア語は?」「現代だけでなく古典資料は?」と次々聞かれてしまうでしょう。むしろ、ないことを証明されてどんどん削除されるサブカル記事が異常だと考えたほうが良いかもしれません。--伏儀会話2015年1月26日 (月) 12:27 (UTC)[返信]
ご理解していただいて幸いです。この項そのものとは話題が離れてきたので(私の責任です)このノートでは最後にしますが、念のために私の意見を表明しておきますと私は下の節の合意形成はぱたごんさんとらんたんさん二者間のものであると捉えています(少なくとも私は合意してはいません)。というのも下節の内容は本来の主題であった独自研究の削除からやや離れ「らんたんさんによる独自研究が取り除かれた場合、記事が引用のみになってしまう」というらんたんさんの私的な悩みが実質的なお題になっており、周りが合意するしないの問題ではなくなったと捉えているからです。らんたんさんがwikibreakから復帰されて再び立項する事があった場合おそらくは今回と似たような事が繰り返されると予想していますが、もしそれをご覧になった時に(あの時合意形成したはずなのに……)と私を含めた双方に対して感じるかもしれませんので付け加えておきます。(文章を変更しました。「双方に」という表現は参加者を敵味方に二分するかのような表現で不適切だとは思ったのですが他に思いつきませんでした。お許しください)--雲霞会話2015年1月27日 (火) 19:27 (UTC)[返信]
あとから合意に異議を申し立てるのは何ら問題ないと思います。議論を仕切り直せば心配は要らないでしょう。--伏儀会話2015年2月1日 (日) 05:04 (UTC)[返信]

「解説・補説」なる独自研究を削除しました[編集]

まず、削除した全体的な理由を述べます。「解説・補説」の節にある記述は、いずれもこの物語の特徴がどのようなものであるかを論じたものですが、出典として挙げられている部分はいずれも物語そのものであり、「解説・補説」の記述の出典とみなすべき文章は認められませんでした。よって独自研究とみなし、削除しました。以下、いくつか個別に述べます。

  • 冒頭の「フェルニゲシュとは全く反対の物語である」という部分。ユーゴスラビアの民話である「ストイシャとムラデン」と、ハンガリーの民話である「フェルニゲシュ」を比較するにはそれ相応の理由(=先行文献における議論)が必要ですが、一切示されていません。
  • 「なお竜退治は竜帝王であるムラデンと一緒に行なっているのであるのも本民話の特徴の一つである」という記述には、この民話の特徴がなんであるか具体的に指摘している出典が必要ですが、示されていません。次項冒頭の「今回脇役として特徴的なのがウサギの存在である」も同じ理由で独自研究です。
  • 「炎のズメイについて」の「とはいえ、3兄弟の竜も人間と一緒に王国を築いていたのであって、人間にすべて害をなしていたわけではなさそうである。その証拠にストイシャは焔のズメイであるムラデン竜帝王と手を組んでいる。これは善悪の問題というよりもむしろ覇権闘争や国盗り合戦の色彩を帯びているといってよさそうである」という部分。最初の文で「~~ではなさそうである」という仮定を行ない、次の文で「その証拠に~~」と根拠を提示し、最後に「~~といってよさそうである」として、この民話の要素についての一つの観点を示していますが、この議論はあきらかに先行文献に確認できないものであり、また、各文に用いられている語法自体が独自研究であることを示しています。「ということは3兄弟の竜、少なくても3番目の竜とは義兄弟の契りを交わしたことになる」の文についても同じ判断ができます。
  • 最初の段落の「まさに勇者の名にふさわしい王子ではなかろうか」や「人間と共存する竜の王国」の最初の「門番など、竜に連れ去られた王女だけでなく一般の人と竜王が共存生活しているという場面も特徴ではないだろうか」、「炎のズメイについて」の「この説話部分からも人間を大切にしていると言えなくないだろうか。残虐無比な竜は隙あらば焼き討ち、人間を貪り食う、生贄を要求するというのが普通ではないだろうか」、全体の最後の「最後に勇者ストイシャとムラデン竜帝王は体から炎が噴くほどのズメイであるはずの竜王3兄弟をなんと焼き殺している点も特筆ではなかろうか」という文章は、内容的にも修辞的にも、先行文献にはみられない新しい主張をしているものであり、独自研究です。

--toroia会話2015年1月20日 (火) 16:49 (UTC)[返信]

だったら物語のあらすじを2~3行にまとめればいいだけです。残念ですがこれでは引用要件が満たせません。らんたん会話2015年1月20日 (火) 23:07 (UTC)[返信]
  • コメント 著作権についてはヴーク・ステファノヴィッチ・カラジッチの権利は当然に消失しているが、日本語訳については田中一生氏が氏の翻訳分の翻訳著作権を保持しています。しかし、栗原成郎、田中一生共訳編「ユーゴスラビアの民話 1」恒文社 1980年.を見ても著作権侵害には当たりません。著作権侵害にならないように微妙に細心に言い回しを変えています。著作権侵害にならずに長編の粗筋を書いたらんたん氏の努力と文才は尊敬いたします。粗筋は見事でしたが、残念ながら解説・補説の部分は(間違いだとは言わないし、正鵠を得ている部分も少なくないが)独自研究。(くどいようですが、間違っているということではなく、wikipediaではらんたん氏の研究を書くことはできない)せっかくの労作ではありますが、このまま載せる訳には行きません。したがってToroia氏による除去は止むを得ない。--ぱたごん会話2015年1月25日 (日) 05:42 (UTC)[返信]
ぱたごん様、はじめてまして。はじめてまともなお返事いただきました。ありがとうございました。間違ってるわけではないが独自研究ですか。素直に意見を受け入れます。らんたん会話2015年1月25日 (日) 05:47 (UTC)[返信]
ぱたごん様、ご質問よろしいでしょうか?となると、あらすじ以外を削除しても現最新版でも「著作権侵害」には当たらない、ということでよろしいのでしょうか?お返事お待ちしております。らんたん会話2015年1月25日 (日) 05:58 (UTC)[返信]
はい、私は著作権問題は無いと考えます。著作権は内容ではなく創作性・著作性に対して発生します。言い回しを変更した粗筋ならば問題ないでしょう。中には通勤大学法律コース事件(知財高裁平成18.3.15)[1]といったような事案があり、言い回しを変えても内容丸パクリならOUTになることもありますが、ストイシャとムラデンは19世紀以前の民話で原著にはだれの権利もありません。したがって著作権の問題は生じません。(田中氏の日本語訳には著作権はあります。ストーリーではなく訳に対してです)--ぱたごん会話2015年1月25日 (日) 06:14 (UTC)[返信]
的確なご意見ありがとうございました。らんたん会話2015年1月25日 (日) 06:19 (UTC)[返信]

(インテント戻す)何度もご質問ばかりすみません。でしたらWikipedia:引用のガイドラインに今回の件のような事例を追加する必要性はございますか?必要があったとしたら私が書いてよろしいのでしょうか。書くとして、どこに書く必要がありますでしょうか?難しいご質問ですがお返事お待ちしております。らんたん会話2015年1月25日 (日) 06:25 (UTC)[返信]

ありません。引用は引用です。wikipediaに書くべきことは出典の要約ですが、引用は別物。引用の場合は逆に一字一句同じにしなければなりません。引用は著作権法で定められている事です。ここで指摘された問題とはWikipedia:引用のガイドラインと無関係。地方病 (日本住血吸虫症)白血病信玄公旗掛松事件などといった記事をお読みくださると「引用」がよくわかると思います。また、民話記事ならば夜長姫と耳男が参考になるでしょう。セルビアの民話では参考文献は少ないと思いますが、アラスジ書くことが百科事典ではありません。物語の背景や受容史、影響、出版状況などを書くことが百科事典らしい記事だと思います。--ぱたごん会話2015年1月25日 (日) 06:51 (UTC)[返信]
本当に的確な回答ありがとうございました。らんたん会話2015年1月25日 (日) 06:54 (UTC)[返信]

上の節でコメントしましたが、こちらで無事に議論がまとまって良かったです。民話のあらすじだけでも執筆していただけると、Wikipediaの発展にプラスとなります。特に誰も知らないようなマイナーな記事は、Wikipedia:すべての言語版にあるべき項目の一覧とは別の意味で貴重です。今後のご活躍をお祈りいたします。--伏儀会話2015年1月25日 (日) 14:21 (UTC)[返信]