ニシノオーカン

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競走馬におけるニシノオーカンとは、

  1. 日本の、1975年生まれの競走馬。本項にて記述。
  2. 1986年3月8日に生まれた、父シヤンペンチヤーリー、母サクラテンセイ(母の父フオワードパス)の日本の競走馬。西山牧場生産のサラブレッドで、JRAで走ったものの未勝利に終わり、上山競馬場佐賀競馬場を転々とした後、高知競馬場へ流れ着いた。通算成績77戦10勝[1]

ニシノオーカン
現役期間 1977年 - 1979年[2]
品種 アングロアラブ(アラブ血量28.67%)[2]
性別 [2]
毛色 鹿毛[2]
生誕 1975年3月21日[2]
死没 不明
チカライチ[2]
ダイサンカツラガワ[2]
母の父 タツマサ[2]
生国 日本の旗 日本鹿児島県[2]
生産牧場 竹本行男[2]
馬主 西庄司[2]
調教師 古賀嘉蔵(美浦[2]
競走成績
生涯成績 17戦7勝[2]
獲得賞金 4676万9000円[2]
勝ち鞍 アラブ王冠(1978年)
アラブ大賞典(1978年)
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ニシノオーカン(1975年3月21日 - 不明)は、日本の競走馬。主な勝ち鞍は1978年アラブ王冠アラブ大賞典主戦騎手横田吉光

経歴

1977年6月18日中山競馬場でデビューし2着。2戦目に初勝利を飾る。2 1/2馬身差で勝利した実績を踏まえてかオープン戦へ駒を進めるもアラブ系オープンでは6着、新潟アラブ3歳ステークスでは8着と華々しい成績を収めることはできなかった。4歳になってからは東京競馬場での200万下戦を4戦目で勝利し、続く500万下では初戦勝利をあげた。1978年3月19日のアラブ王冠では9番人気ながら2着馬に3馬身の差をつけ重賞初制覇。なお、このときの2着馬は後にタマツバキ記念春秋連覇を達成するリョクシュ。その後は勝入戦やオープン戦で活躍した後12月3日のアラブ大賞典(秋)にて重賞2勝目をあげた。古馬になってからは、アラブ王冠二連覇をかけて挑むもビーシーアイガーの4着に敗れた。結局次戦のアラブステークスでの3着を最後に現役を引退。種牡馬へは上がらずその後の消息は不明。

競走成績

  • 1977年(4戦1勝)
  • 1978年(11戦6勝)
  • 1979年(2戦0勝)

血統表

ニシノオーカン血統 (血統表の出典)[§ 1]

チカライチ
Chikara Ichi
1963 鹿毛
父の父
フジミナト
1953 栗毛
トシシロ ダイオライト
月城
弟詠 イブンヂアド
太陽
父の母
フクサカエ
1956 鹿毛
ツバサ トキノチカラ
日本泉
ミスカズマ

ダイサンカツラガワ
Daisan Katsuragawa
1964 鹿毛
タツマサ
1946 栗毛
ラツキーパーク プライオリーパーク
初鶯
菊花 オールグリーン
第五ダチユラ
母の母
ヤクシン
1951 鹿毛
アサフジ プリメロ
第四ウエツデイングサーフ
ヂプロヒメ
出典
  1. ^ [3]


脚注

  1. ^ "ニシノオーカン (1986)". JBISサーチ. 日本軽種馬協会. 2022年10月12日閲覧
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n ニシノオーカン”. JBISサーチ. 日本軽種馬協会. 2022年10月12日閲覧。
  3. ^ 血統情報:5代血統表|ニシノオーカン”. JBISサーチ. 2022年10月12日閲覧。

外部リンク