トネレロ通り

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座標: 南緯22度58分03秒 西経43度11分13秒 / 南緯22.967580度 西経43.187000度 / -22.967580; -43.187000

トネレロ通りとサンタクララ通り (Rua Santa Clara) の角の標識。
トネレロ通りの歩道、2011年撮影。
トネレロ通り、2018年撮影。

トネレロ通り(トネレロどおり、ポルトガル語: Rua Tonelero)は、ブラジルリオデジャネイロ市内のコパカバーナ近傍に位置する街路。その名称はパソ・デル・トネレロの戦いポルトガル語版英語版に由来するものである。

コパカバーナの中心部に位置し、周辺地域の主要幹線道路のひとつとされるトネレロ通りは[1]、北東 - 南西に伸びる海岸線から500メートル (m) ほど離れた内陸側を並行する、全長1キロメートル (km) 足らず街路であり、東北端(南緯22度57分53秒 西経43度10分53秒 / 南緯22.964727度 西経43.181413度 / -22.964727; -43.181413)はカーデアル・アーコベルデ広場 (Praça Cardeal Arcoverde)、南西端(南緯22度58分11秒 西経43度11分26秒 / 南緯22.969813度 西経43.190492度 / -22.969813; -43.190492)はマヨル・バス・トンネル (Túnel Maj. Vaz) に接している。通りの半ばには、リオデジャネイロ地下鉄シクエイラ・カンポス駅ポルトガル語版が位置している[2]

トネレロ通り襲撃事件[編集]

1954年5月8日、トネレロ通りにおいて、当時、大統領ジェトゥリオ・ヴァルガスを批判する急先鋒であったカルロス・ラセルダポルトガル語版に対する暗殺未遂事件が起こり、この一件はトネレロ通り襲撃事件ポルトガル語版と称されるようになった[3]

この事件は、共和国大統領ジェトゥリオ・ヴァルガスがその後8月24日に自殺し、政権が崩壊したことによって、歴史的重要性をもつことになった[3][4]

脚注[編集]

  1. ^ リオ州の安全情報(2016年43号)” (PDF). 在リオデジャネイロ日本国総領事館 (2016年10月11日). 2019年5月10日閲覧。
  2. ^ Siqueira Campos - Sobre a Estação”. MetrôRio. 2019年5月9日閲覧。
  3. ^ a b Rua Tonelero, 50 anos depois - Jornal do Brasil
  4. ^ O atentado da Rua Tonelero - Observatório da Imprensa

外部リンク[編集]

全ての座標を示した地図 - OSM
全座標を出力 - KML