シュコダ・オクタヴィアWRC
オクタヴィアWRC(オクタヴィアダブリューアールシー、Škoda Octavia World Rallycar)は、世界ラリー選手権(WRC)に出場するためにシュコダが製作した競技専用車(ワールドラリーカー)である。
概要
1997年ラリー・フィンランドでデビューしたオクタヴィア・キットカーを濫觴とし、1999年WRC開幕戦ラリー・モンテカルロにシュコダのWRカーデビューとなった。
当時の首脳は「世界のトップメーカーたちに混じって戦うだけでシュコダのイメージは引き上げられる」と語っており[1]、ベース車両も市販車の事情とは言え全WRカー中最も長い全長のオクタビアを採用するなど、勝利への情熱を感じる体制とは言い難かった。
2001年のサファリラリーでアルミン・シュヴァルツが3位表彰台を得たのが最高位記録となっている。
メカニズム
開発の多くにプロドライブが関わり、スバル・インプレッサWRCと共通点が見られる。
1999年のワークスで唯一の5バルブ ヘッドを持つフォルクスワーゲン製のエンジンは296bhp/6,250rpm、501N·m/3,250rpmを発生。EVO3モデルのエンジン開発にはリヒテンシュタインのエンジンチューナー、リーマンが関わり、最高出力は300bhp/5,500rpm、最大トルクは600Nm/3,250rpmに向上している。
6速シーケンシャルシフトはヒューランド製。油圧式アクティブデフ(フロント、センター)はプロドライブ製。リアデフのみ機械式。サスペンションは前後ともマクファーソン・ストラット。
車体サイズは4,511×1,770mm、ホイールベースは2,512mm。車重はミニマムの1,230kg。また、当時は規定で禁止だったリヤドアの加工も特例という形で認めさせている
WRCでの活躍
開発の多くを外部に頼り、経験のない4WDターボ車、ライバルに比べ15~40cmも長い大柄なボディを持つWRカーを熟成させるのはシュコダにとって至難の業であった。
1999年開幕戦ラリー・モンテカルロではECUの不調で、出場車2台ともSS1のスタートにすらたどり着けずリタイアという苦い船出となった。アクロポリスでシュヴァルツが12位でゴールし、初のマニュファクチャラーポイントを獲得。最終戦グレートブリテンでブルーノ・ティリーが4位に入賞したのがベストリザルトとなった。
2000年にEVOIIを投入。アクロポリスでシュヴァルツが5位に入賞したのがベストリザルトであった。
2001年にはモンテカルロで4位(終盤まで3位を走行)、サファリでシュコダとしても初の表彰台3位を獲得する(いずれもドライバーはシュヴァルツ)。
2002年はドライバーのラインナップを一新、トニ・ガルデマイスターとケネス・エリクソンの体制とするが、新WRカーとなるファビアWRCの開発が始まっており、エンジンとリアのアクティブ・デフ以外は開発がストップ、シーズン途中から投入されたEVOIIIもパフォーマンスの向上は期待できない状態にあった。ベストリザルトはアルゼンチンでガルデマイスターが獲得した5位にとどまる。
2003年はエリクソンに代えて元王者のディディエ・オリオールを起用。第7戦キプロスがオクタビアWRCの最終戦となり、第8戦ドイツからファビアWRCにスイッチした。
脚注
- ^ 『AUTO SPORT(オートスポーツ) No.790 2000年2月17日号』P18 三栄書房刊