サン=ヴィゴール=ル=グラン

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Saint-Vigor-le-Grand


地図
行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) ノルマンディー地域圏
(département) カルヴァドス県
(arrondissement) バイユー郡
小郡 (canton) バイユー小郡
INSEEコード 14663
郵便番号 14400
市長任期 ブノワ・フェルリュ[1]
2014年-2020年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes de Bayeux Intercom
人口動態
人口 2438人
2017年
人口密度 252人/km2
住民の呼称 Saint-Vigorien
地理
座標 北緯49度16分53秒 西経0度41分18秒 / 北緯49.2813888889度 西経0.688333333333度 / 49.2813888889; -0.688333333333座標: 北緯49度16分53秒 西経0度41分18秒 / 北緯49.2813888889度 西経0.688333333333度 / 49.2813888889; -0.688333333333
標高 平均:m
最低:32 m
最高:75 m
面積 9.69km2
Saint-Vigor-le-Grandの位置(フランス内)
Saint-Vigor-le-Grand
Saint-Vigor-le-Grand
公式サイト www.saintvigorlegrand.fr
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サン=ヴィゴール=ル=グランSaint-Vigor-le-Grand)は、フランスノルマンディー地域圏カルヴァドス県コミューン

地理

商業活動の重要な地域であるベッサン地方にあり、バイユーの北東に隣接する。数か所の住宅地を持つ。

由来

地名は、1066年頃にde S Vigoreつづりで記されたことが証明されている[2]

バイユーのヴィゴールは513年から537年までバイユー司教であり、自分の名を町につけ、そこに神学校を建てておそらく敷地内に埋葬された。6世紀のクロヴィスと同時代の人物であり、聖ヴァーストの弟子であった彼は、スル川の河口でノルマンディーに上陸し、バイユー司教に任命される前はルヴィエで隠者として暮らしていた。

le Grandとは、司教区の『主たる神学校』を意味する。町の中には小規模な神学校もあった[3]

歴史

聖ヴィゴールがキルデベルト1世の同意を得て神殿を破壊するまで、フェヌス山(mons Phœnus)はガリア系のバヨカセス族(fr)の信仰の地だった[4][5]。彼はその場所に聖ピエールと聖ポールに捧げられた修道院を建設した。フェヌス山はクリスマット山(mont Chrismat)と名前を変えられた[6]

サン・ピエール・エ・サン・ポール修道院はのちにサン・ヴィゴール修道院となったが、ノルマン人侵攻によって破壊された。ウィリアム征服王の異父弟、オドン・ド・バイユーが、のちにベネディクト会派修道院として修道院を修復した。

人口統計

2017年時点のコミューンの人口は2438人で、2012年当時の人口より16.82%増加した[7]

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2004年 2014年 2017年
1195 1304 1588 1752 2032 1901 1949 2338 2438

参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini[8]、2006年以降INSEE[9][10]

史跡

  • サン・シュルピス教会 - 13世紀
  • サン・ヴィゴール・ル・グラン修道院 - 7世紀。歴史的記念物[11]
  • サン・ヴィゴール教区教会 - 18世紀

脚注

  1. ^ Réélection 2014 : "Saint-Vigor-le-Grand (14400) - Municipales 2014". elections.ouest-france.fr. fr:Ouest-France. 2014年6月10日閲覧
  2. ^ Ernest Nègre - 1998 - Toponymie générale de la France: Tome 3, page 1581, ISBN 2600028846
  3. ^ Annuaire du département du Calvados pour l'année 1832, page 74.
  4. ^ Écriture selon Toussaint Michel Binet[1].
  5. ^ http://histoiredelamanche.free.fr/plus.htm
  6. ^ Assertion de Toussaint Michel Binet [2].
  7. ^ Population municipale légale en vigueur au 1er janvier 2020, millésimée 2017, définie dans les limites territoriales en vigueur au 1er janvier 2019, date de référence statistique : 1er janvier 2017.
  8. ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=34953
  9. ^ https://www.insee.fr/fr/statistiques/4269674?geo=COM-14663
  10. ^ http://www.insee.fr
  11. ^ https://www.pop.culture.gouv.fr/notice/merimee/PA00111725