コレ (フランス)

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Coray

行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) ブルターニュ地域圏
(département) フィニステール県
(arrondissement) シャトーラン郡
小郡 (canton) シャトーヌフ=デュ=フー小郡
INSEEコード 29041
郵便番号 29370
市長任期 ジャン=ルネ・ジョンクール
2008年 - 2014年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes de Haute Cornouaille
人口動態
人口 1846人
2010年
人口密度 59人/km2
住民の呼称 Coraien, Coraienne
地理
座標 北緯48度03分43秒 西経3度49分43秒 / 北緯48.061944度 西経3.828611度 / 48.061944; -3.828611座標: 北緯48度03分43秒 西経3度49分43秒 / 北緯48.061944度 西経3.828611度 / 48.061944; -3.828611
標高 平均:m
最低:m
最高:259m
面積 31.36km2
Corayの位置(フランス内)
Coray
Coray
公式サイト Site de la commune
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コレCorayブルトン語:Kore)は、フランスブルターニュ地域圏フィニステール県コミューン

歴史[編集]

ガロ=ローマ時代のコレは通信上の重要な要衝であった。ジャン・ピエール・ブリュンテルシュのような一部の作家たちは、コレが818年頃の『ローザンヌ年代記』に書かれたCorophesiumだと考えている。

コレの名は、11世紀のランデヴェネック修道院の特許状台帳において、Choroeとして記されている。同時代のサント・クロワ・ド・カンペルレ修道院特許状台帳や、カンペール教会特許状台帳においてはCoroeと記されている。

中世のコレは、ラズ領主の領地の一部となっていた。ラズ領主はラズの森の中間にある岩の要塞を本拠地としていた。また、コレはカンペール司教の封土の一部でもあり、司教はコレに邸宅を持ち、数世紀の間に幾度か、カンペール聖堂の参事会員たちの避難所になってきた。特に知られているのは1484年にカンペールが黒死病流行に襲われた時である。

1796年春、シュアン(fr、王党派)の首領ジャン・ル・パージュ・ド・バル(fr)は、カレの不満分子を結集させ、フィニステール県で暴動を拡大させようと企んだ。脱走兵のふりをしたあくどい勧誘員がランゴラン、コレ、トレグレズ、ルアンラズの田舎をまわって既婚男性を徴集しようとし、次に会った時には自分についてくる準備を整えるように脅し、警告した[1]

人口統計[編集]

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2010年
1841 1787 1768 1737 1623 1625 1759 1846

参照元:1999年までEHESS[2]、2000年以降INSEE[3][4]

脚注[編集]