クリスティアン・アウグスト (プファルツ=ズルツバッハ公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。SeitenBot (会話 | 投稿記録) による 2021年3月11日 (木) 14:45個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (Botによる: {{Normdaten}}を追加)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

クリスティアン・アウグスト
Christian August
プファルツ=ズルツバッハ公
在位 1632年 - 1708年

出生 (1622-07-26) 1622年7月26日
死去 (1708-04-23) 1708年4月23日(85歳没)
埋葬 ズルツバッハ=ローゼンベルク、聖マリア教会
配偶者 アマーリエ・フォン・ナッサウ=ジーゲン
子女 マリア・ヘートウィヒ・アウグステ
アマーリエ・ゾフィー
ヨハン・アウグスト・ヒール
クリスティアン・アレクサンダー・フェルディナント
テオドール・オイスタッハ
家名 プファルツ=ズルツバッハ家
父親 プファルツ=ズルツバッハ公アウグスト
母親 ヘートヴィヒ・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプ
テンプレートを表示
プファルツ=ズルツバッハ公クリスティアン・アウグスト

クリスティアン・アウグスト(Christian August, Herzog von Pfalz-Sulzbach, 1622年7月26日 - 1708年4月23日)は、プファルツ=ズルツバッハ公アウグスト公とシュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゴットルプヨハン・アドルフの娘ヘートヴィヒの子。

寛容な政策を執り、個々の宗教の信仰を認めたり、シムルタネウムを導入したり、1666年ユダヤ人が定住するのを認め、印刷業を設立した。1644年に叔父のプファルツ=ズルツバッハ=ヒルポルトシュタイン公ヨハン・フリードリヒが子のないまま亡くなるとその領土を併合した。

1708年死去。遺体はズルツバッハ=ローゼンベルクの聖マリア教会に埋葬された。

子女

1649年にナッサウ=ジーゲン伯ヨハン7世の娘アマーリエと結婚。

先代
アウグスト
プファルツ=ズルツバッハ公
1632年 - 1708年
次代
テオドール・オイスタッハ