クイリナーレ宮殿

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クイリナーレ宮殿
王の間 (Sala Regia) にあるフレスコ画1615年[1]仙台藩祖・伊達政宗による慶長遣欧使節のローマでの様子を描いており、前列左が支倉常長、前列右がルイス・ソテロである。

クイリナーレ宮殿イタリア語: Palazzo del Quirinale)はローマの七丘の1つクイリナーレの丘にあるグレゴリウス13世パラッツォで、イタリア共和国大統領官邸として使われている。

概要

クイリナーレ通りとクイリナーレ広場に面したこの宮殿は、1583年、教皇グレゴリウス13世の夏の住居として建設された。また、ここで1823年、1829年、1831年、1846年の4回、コンクラーヴェが開催されている。1870年まで教皇の住居および教皇領政府の役所として使われていたが、同年9月に教皇領がなくなった。5カ月後の1871年、ローマはイタリア王国の首都となった。その後イタリア国王の公式な宮殿として使われたが、ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世(1900年-1946年)を代表として実際には他の場所を住まいとした王が多く、クイリナーレ宮殿は単に公務の場としてのみ使われることが多かった。1946年に王政が廃止されると、この宮殿はイタリア共和国大統領の官邸となった。大統領の中にもここを使わなかった者がおり、例えばアレッサンドロ・ペルティーニトレヴィの泉の近くにあった元々のアパートに住み続けた。

ファサードドメニコ・フォンターナが設計した。大礼拝堂はカルロ・マデルノが設計した。グイド・レーニ作のフレスコ画もあるが、階段の上にあるメロッツォ・ダ・フォルリのフレスコ画「祝福するキリスト」が有名である。敷地内には18世紀に整備された有名な庭園がある。

クイリナーレ広場のパノラマ。左端がクイリナーレ宮殿

関連する建築物

周辺

この宮殿の庭園の1ブロック北西にバルベリーニ宮殿がある。庭園の南西に走っている長い壁と通りを隔てた位置にベルニーニの立てた小教会であるサンタンドレア・アル・クイリナーレ教会がある。その通りを北に向かったところにある交差点の角にはボッロミーニサン・カルロ・アッレ・クワットロ・フォンターネ聖堂がひっそりと建っている。ファサードから西に向かって路地を通っていくとトレヴィの泉がある。

脚注

出典

参考文献

  • Rendina, Claudio (1999). Enciclopedia di Roma. Rome: Newton & Compton 

外部リンク

座標: 北緯41度54分0秒 東経12度29分12.85秒 / 北緯41.90000度 東経12.4869028度 / 41.90000; 12.4869028