キヤノンのレンジファインダーカメラ製品一覧

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キヤノンのレンジファインダーカメラ製品一覧は精機光学(現キヤノン)が製造したレンジファインダーカメラボディーの一覧である。 レンズに関しては初期の独自マウントの製品を除きライカマウントレンズの一覧#キヤノン/精機光学参照。

1960年代に入るまでキヤノンの主力製品であった。

独自バヨネットマウント

独自バヨネットマウントカメラボディー

  • カンノンKwanon1934年試作) - 当時はライカコンタックスの2大ブランドが市場を席捲していたが、吉田五郎はアメリカの貿易商ロイ・E・デレーの「お前の国には素晴らしい軍艦や飛行機があるのになんでこんなものが作れないのか」という言葉に発憤し、実際に手に入れたライカを分解し、その部品を見て「これならできる」と確信、妹婿である内田三郎(1899-1982年)や内田の元部下の前田武男(1909-1975年)とともにキヤノンの前身である精機光学研究所を創設、内田と親交のあった医師で後キヤノン初代社長となる御手洗毅、陸軍第一師団にいた山口一太郎大尉[1]の支援を受けて作り上げた。アサヒカメラ1934年6月号[1]から「潜水艦ハ伊號、飛行機ハ九二式、カメラハKWANON、皆世界一」とのコピーで広告が打たれたが発売されなかった。
  • キヤノン標準型またはハンザキヤノン(1935年[2]10月または1936年2月発売) - カンノンを市場に送りこもうとレンズや距離計など光学系の設計製造で日本光学工業(現ニコン)の協力を得、ニッコール50mmF3.5とセットで販売された。近江屋写真用品と販売契約を結んだため近江屋写真用品のブランド「ハンザ」が冠された。ファインダーはエルンスト・ライツ(現ライカ)の、距離計の間にファインダーを組み込むことで距離計の基線長を確保した上で小型にできる特許を避けるため「びっくり箱」と俗称された飛び出し式。レンズマウントは独自規格の3本爪バヨネット[2]。当時「ライカとコンタックスの悪いところを寄せ集めたよう」と評された[3]
  • キヤノン最新型またはセイキキヤノンまたはキヤノンS1939年[2]2月発売) - キヤノン標準型に1/20〜1秒のスローシャッターを組み込んだモデル。名称からはハンザのブランド名が冠されなくなったが引き続き近江屋写真用品から販売されていた。粟野幹男がメーカーに聞いたところではSはスタンダードの意との回答があったと言うが、キヤノン標準型との混乱の危険性がある旨指摘している[4]。日本海軍、日本陸軍に制式兵器として納入され、海軍に納入された個体の一部には「小型写真器二型」の刻印がある[5]
  • キヤノン新標準型1939年[2]末発売) - キヤノン最新型からスローシャッターを省いたモデル。生産は約100台に終わった。
  • キヤノン戦後最新型またはキヤノンS型1946年1月発売) - 約100台が生産された。

独自バヨネットマウントレンズ

  • ニッコール50mmF1.5 - 広告されたのみで発売されなかった[4]
  • ニッコール50mmF2 - キヤノン最新型の時代になってから追加された[2]
  • ニッコール50mmF2.8 - キヤノン最新型の時代になってから追加された[2]
  • ニッコール50mmF3.5
  • ニッコール50mmF4.5

Jマウント

マウントはライカマウントに似ているが、ライカマウントのネジピッチ26山/inに対し、ネジピッチ1mmの独自ネジマウントであるJマウントになった[5]

Jマウントカメラボディー

  • キヤノン普及型またはキヤノンJ1939年[2]4月発売) - 距離計を省略し、ピントは目測による。Jはジュニア(Junior )の意。
  • キヤノン普及型スロー付またはキヤノンJS1939年発売[2]) - 軍の注文により複写機用として開発生産されたという[5]。約50台が生産された。
  • キヤノン戦後普及型またはキヤノンJII1945年10月または1946年[3][2]発売) - 普及型の再発売。
  • キヤノンSII1946年10月発売) - 戦後初の新型。当時のライカが持っていなかった距離計内蔵のファインダーを備えていた。当初はJマウントと呼ばれる独自スクリューマウントであったが途中からLマウントに変更された。また製造途中で商号変更されたため、刻印される会社名は前期型「SEIKI-KOGAKU TOKYO」、後期型は「CANON CAMERA COMPANY LTD.」である[6]

Jマウントレンズ

当初はニッコールが装着されたが、順次自社製セレナーに置換された。

  • セレナー50mmF2[6]
  • セレナー50mmF3.5[6]
  • ニッコール50mmF3.5[6]
  • ニッコール50mmF4.5

Lマウント

Lマウントカメラボディー

  • キヤノンSII(1946年[3]) - 途中からライカLマウントと同一規格の「標準ねじマウント」に切り替わった。「ライカに追いつき追い越せ」という標語を掲げ、戦前とは比べ物にならないほど高品質かつ多機能なカメラが開発され、駐留軍人などに人気を博し対米輸出商品の花形となった。
  • キヤノンIIB1949年[3][7]4月発売) - キヤノンSIIの後継で当初4月号の広告ではキヤノンSIIbと告知されていたが5月号ではキヤノンIIBで広告されている。0.67倍50mm/1.0倍100mm/1.5倍135mmに変更できる世界初の変倍式ファインダーを搭載した。このファインダー方式はキヤノンVI時代まで踏襲された。
  • キヤノンIIC1950年[3]7月発売) - キヤノンIIBにタイム露出を装備。スローシャッターダイヤルにクリックストップがついた。
  • キヤノンIII1951年[3]2月発売) - 国産カメラで初めてシャッター最高速1/1000秒を実現した。
  • キヤノンIV(1951年[3]4月発売) - 世界初のワンタッチ式フラッシュバルブ取り付けレールを装備し、コードレスでフラッシュが使用できるようになった。
  • キヤノンIIIA(1951年[3]4月発売) - キヤノンIIIのマイナーチェンジ版。
  • キヤノンIVF1952年1月発売)/キヤノンIVS - キヤノンIVをベースに完全ダイカスト化などの改良を施した。途中で改名された。
  • キヤノンIIA(1952年[3]3月発売) - キヤノンIVSから1/1000秒とスローシャッターを省略したモデル[6]。ジャーディン・マセソンの注文で約300台が生産され、オセアニア方面に販売された。
  • キヤノンIID(1952年[3]10月発売) - キヤノンIIAの1/8〜1秒のスローシャッターを装備した。途中で巻き上げノブ上にフィルム感度メモを装備した。
キヤノンIVSb 表側・レンズはキヤノン35mmF2.8II。
キヤノンIVSb 裏側。フィルムは底から装填するので裏蓋は開かない。
  • キヤノンIVSb(1952年発売[3]) - 変倍ファインダー内蔵に加え、世界初のX接点によるスピードライト同調を実現し、ついにライカを超えたとまで言われ、キヤノンを一流のカメラメーカーとして世界に認知させることに大いに貢献した。洗練されたボディデザインからレンジファインダー時代のキヤノンを代表する名機と呼ばれることが多い。
    • キヤノンIVSbブラック - 黒塗り仕上げ。展示用に作成されたもので市販されたことはない。塗り替えられた偽物が流通しているので注意が必要である[8]
  • キヤノンIIAF(1953年[3]6月発売) - キヤノンIIAにシンクロ接点を装備したもので、数が極めて少ない[6]
  • キヤノンIIAX(1953年6月発売)
  • キヤノンIIF(1953年[3]6月発売)
  • キヤノンIIS1954年[9]2月発売)
  • キヤノンIVSb改(1954年3月または1955年[3]発売) - キヤノンIVSbの改良型で1/15秒のスローシャッターを実現しシャッター速度系列が擬似的倍数系列となるなどより完成度を高めキヤノンIVSbとともに現在でも人気の高い機種となっている[9]
  • キヤノンIIS改1955年[9]4月発売) - キヤノンIISの改良型でシャッター速度系列が倍数系列になった[9]
  • キヤノンIID改(1955年[9]4月発売) - キヤノンIIDの改良型でシャッター速度系列が倍数系列になった[9]
  • キヤノンIIF改(1955年[9]4月発売) - キヤノンIIFの改良型でシャッター速度系列が倍数系列になった[9]
  • キヤノンVT1956年8月発売) - ライカM3の発売を受けて軍艦型のトップカバーをやめ、コダック・エクトラを参考に設計者の川田龍宥が「航空母艦のデッキ」と呼んだ、すっきり洗練された直線的なデザインに変更した[10]。またより迅速な巻上げができるとされた底部トリガー巻き上げ、フィルム交換が容易な裏蓋ちょうつがい式開閉、外付けのファインダーなしで35mm広角レンズも使用できる新型変倍ファインダーなどを装備した。ボディーに入ったボーダーラインはわざわざ川田龍宥が京都や奈良に出向いて職人に教えを乞うた漆塗り。アクセサリーシューは対応ファインダーを使用すると自動でパララックスを補正するピン入り。
  • キヤノンL21956年[7]または1957年3月発売) - 大幅なコストダウンを図ってより廉価にカメラを供給することを目指した。巻き上げはボディー上部のレバー式。
  • キヤノンVTデラックス1957年5月発売) - キヤノンVTを改良したものだが「改」の文字は使われず別モデルとして扱われている[11]。当時のライカM型にはないクランク巻き戻し装置を装備し、裏蓋安全ロックを追加した。背面のボタンを押すとノブによるフィルム巻上げが可能になり、三脚使用に対応する[11]。当初金メッキだったハーフミラーのメッキが途中で銀メッキに変更されている。設計は川田龍宥[10]
    • キヤノンVTデラックスブラック - 黒塗り仕上げ[8]
  • キヤノンL11957年[7]5月発売) - 第1回のグッドデザイン賞受賞。当初布幕シャッターであったが途中からステンレス製に変更された。
    • キヤノンL1ブラック - 黒塗り仕上げ[8]
  • キヤノンL31957年[7]11月発売) - ボディ価格を最高級機種キヤノンVTデラックスより26,000円も安価にすることに成功した。
  • キヤノンVL1958年3月発売[12]) - キヤノンVTデラックスのトリガー巻上げを一般的なレバー巻上げに変更した。
  • キヤノンVL1958年3月発売) - 巻き上げはボディー上部のレバー式。設計は川田龍宥[10]
  • キヤノンVL2(1958年3月発売) - シャッター最高速は1/500秒、ノブ巻き戻し、シンクロなしとキヤノンVLを簡略化した。
  • キヤノンVIT(1958年9月発売) - シャッターダイヤルを一軸不回転とし着脱式露出計「キヤノンメーター」に対応、標準と中望遠レンズ用アルバタフレームを内蔵しつつさらにファインダー倍率を引き上げた。
    • キヤノンVITブラック - 黒塗り仕上げ[8]
  • キヤノンVIL(1958年9月発売) - キヤノンVITをレバー巻き上げに変更したモデル。
    • キヤノンVILブラック - 黒塗り仕上げ[8]
キヤノンポピュレールとキヤノンメーターII
  • キヤノンポピュレールPopulaireP型)(1959年3月発売) - ファインダーを等倍固定、35mm/50mm/100mmの3重フレーム式に簡略化したモデル。枠は自動でパララックス補正され、アクセサリーシューのパララックス補正ピンは省略された。値段もキヤノンL3より大幅に安く、キヤノンVITと比較するとほぼ半額になった。当時高級機にしか搭載されておらずキヤノンL3にも装備されていなかったシャッター速度最高速1/1000秒を備え、1軸不回転式シャッターダイヤル、巻き戻しクランク、セルフタイマーを搭載していたため、「低額高級機」として爆発的ヒットとなった。「キヤノンメーター」にも対応している。コストダウンの技術は高級機にもフィードバックされ、高級機の値段は急激に下がっていくことになった。
    • キヤノンポピュレールキヤノン社章入り - キヤノンの社章が軍艦部に入っている[8]
    • キヤノンポピュレール自衛隊用 - 桜のマークが軍艦部に入っている[8]
    • キヤノンポピュレールブラック - 黒塗り仕上げ[8]
キヤノン7とキヤノンレンズ50mmF0.95
  • キヤノン71961年9月発売) - 型番がローマ数字でなくアラビア数字になった。距離計連動式24×36mm(ライカ)判カメラで初めてシャッター速度と連動させたセレン光電池式の露出計が組み込まれた。ライカM型と同様の採光式ブライトフレームファインダーを搭載、35mm/50mm/85mm/100mm/135mmの5種類の枠を切り替えできる。ねじマウント外周への外爪バヨネットマウント追加により史上最高の明るさを持つ「キヤノンレンズ50mmF0.95」や望遠レンズ用ミラーボックス2型を装着可能にした。アクセサリーシューはない。キヤノンのレンジファインダーカメラの最高峰に位置するが、コストダウン技術が進み50mmF1.8付きで46700円を実現し、メーターと50mmF1.8を付属した場合のキヤノンポピュレールの53500円より廉価となった。レンズも同様に価格改定が行われ、キヤノンレンズ交換式レンジファインダーカメラ史上最多の生産台数を記録、国産レンズ交換式レンジファインダーカメラはキヤノンの独擅場となった。しかしヒット直後からレンジファインダーカメラは急速に廃れ始め、このヒットが逆にキヤノンの一眼レフカメラ参入を遅らせる結果となった。
    • キヤノン7ブラック - 黒塗り仕上げ[8]
  • キヤノン7S1965年発売) - CdS露出計を装備した。キヤノンはレンズ交換式レンジファインダーカメラ開発から撤退することとなった。アクセサリーシューを再装備した。

Lマウントレンズ

戦前には主に日本光学工業(現ニコン)からニッコールの供給を受けていたが、その一方で社内公募により「セレナー」の名称を与え1939年頃から自社製の3群4枚テッサータイプのセレナー50mmF4.5、ゾナー型のセレナー135mmF4を開発した。しかしセレナーを標準レンズとした最初のカメラは戦後のキヤノンSIIであった。その後ニッコールレンズの供給はなくなり、正式にセレナーはキヤノンカメラ用のレンズとなったが、キヤノンIVSが発売された1953年から事実上固有名がない「キヤノン」に切り替わった。

ライカマウントのレンズの他、キヤノン7キヤノン7Sはバヨネットマウントを併設しており、以下のレンズが使用できる。

  • キヤノン50mmF0.95 - 1960年フォトキナで発表された[13]。今日まで一般撮影用ライカ判50mmレンズで史上最大口径を維持し続けている超大口径レンズ。
  • キヤノン200mmF3.5 - ミラーボックス2型を介して使用する。

脚注

  1. ^ a b 『カメラと戦争 光学技術者たちの挑戦』p.053。
  2. ^ a b c d e f g h i 『クラシックカメラ専科No.4、名機の系譜』p.16。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『クラシックカメラ専科』p.135。
  4. ^ a b 『クラシックカメラ専科No.5、ライカ型カメラ』p.51。
  5. ^ a b c 『クラシックカメラ専科No.5、ライカ型カメラ』p.52。
  6. ^ a b c d e f 『クラシックカメラ専科No.5、ライカ型カメラ』p.53。
  7. ^ a b c d 『クラシックカメラ専科No.4、名機の系譜』p.18。
  8. ^ a b c d e f g h i 『クラシックカメラ専科No.5、ライカ型カメラ』p.55。
  9. ^ a b c d e f g h 『クラシックカメラ専科』p.136。
  10. ^ a b c 『別冊ステレオサウンド ヴィンテージカメラセレクション』p.112。
  11. ^ a b 『別冊ステレオサウンド ヴィンテージカメラセレクション』p.113。
  12. ^ 『クラシックカメラ専科No.4、名機の系譜』p.19。
  13. ^ 『銘機礼賛』p.112。

参考文献

  • 『クラシックカメラ専科No.4、名機の系譜』朝日ソノラマ
  • 『クラシックカメラ専科No.5、ライカ型カメラ』朝日ソノラマ
  • 小倉磐夫『カメラと戦争 光学技術者たちの挑戦』朝日新聞社 ISBN4-02-330311-9
  • 田中長徳『銘機礼賛』日本カメラ ISBN4-8179-0004-0
  • 『別冊ステレオサウンド ヴィンテージカメラセレクション』ステレオサウンド ISBN4-88073-035-1