ガエターノ・ディ・ボルボーネ=パルマ
ガエターノ・マリーア・ジュゼッペ・ピオ・ディ・ボルボーネ=パルマ(Gaetano Maria Giuseppe Pio di Borbone-Parma, 1905年6月11日 ヴィラ・ピアノーレ、カマイオーレ郊外 - 1958年3月9日 マンドリュー=ラ=ナプール)は、ブルボン=パルマ家の公子で、オーストリア皇后ツィタの弟。フランス語名はガエタン・ド・ブルボン=パルム(Gaëtan de Bourbon-Parme)。
最後のパルマ公ロベルト1世と、その2番目の妻でポルトガルの廃王ミゲル1世の娘であるマリア・アントニアの間の第12子、六男、末息子として生まれた。父にとっては第24子、11番目の息子である。1931年4月29日にパリにおいて、イタリア貴族のカステル・ドゥイノ公爵アレッサンドロ・デラ・トッレ・エ・タッソ(トゥルン・ウント・タクシス家の傍系)の娘であるマルゲリータ(1909年 - 2006年)と結婚したが、1955年に離婚した[1]。
妻との間に娘を1人もうけている。
- ディアーナ・マルゲリータ(1932年 - ) - 1955年にホーエンツォレルン侯子フランツ・ヨーゼフ(ホーエンツォレルン侯フリードリヒの次男)と結婚(1961年離婚)、1961年にHans Joachim Oehmichenと再婚