ガイウス・クラウディウス・カニナ

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ガイウス・クラウディウス・カニナ
C. Claudius M.f. C.n. Canina
出生 不明
死没 不明
出身階級 プレブス
氏族 クラウディウス氏族
官職 執政官(紀元前285年、紀元前273年)
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ガイウス・クラウディウス・カニナ(Gaius Claudius Canina)は共和政ローマプレブス(平民)出身の政治家・軍人。紀元前285年紀元前273年執政官(コンスル)を務めた。

出自[編集]

クラウディウス氏族の出身。クラウディウス氏族にはパトリキ(貴族)系もあるが、カニナのコグノーメン(第三名、家族名)を名乗っているものの、プレブス系の有力家族であるマルケッルス家の一員で、父は紀元前331年の執政官マルクス・クラウディウス・マルケッルス紀元前287年の執政官を務めたマルクス・クラウディウス・マルケッルスとは兄弟である。子孫に関しては不明ではあるが、第一次ポエニ戦争の発端となった、紀元前264年メッセネの戦いで戦死したトリブヌス・ミリトゥム(高級士官)のガイウス・クラディウスはカニナの息子である可能性がある[1][2]

経歴[編集]

紀元前285年にマルクス・アエミリウス・レピドゥスと共に執政官に就任したが、この任期中には特筆すべきことはなかった。

紀元前273年に二度目の執政官に就任。同僚執政官はガイウス・ファビウス・ドルソ・リキヌスであった。ローマの脅威であったエペイロスピュロスはギリシアに去ったが、カニナはピュロスと同盟していたルカニアサムニウムブルティウム、クィリナリアに勝利し、凱旋式を実施している[3]。また、コサ(en)とパエストゥムに植民都市を建設した[4]。また、プトレマイオス朝エジプトへの使節団が派遣され、友好条約を締結している[5]

それ以降のカニナの経歴は不明である。

脚注[編集]

  1. ^ カッシウス・ディオ『ローマ史』、11 fr. 43.5-10
  2. ^ ゾナラス、8.8
  3. ^ 凱旋式のファスティ
  4. ^ ウェッレイウス・パテルクルス『ローマ世界の歴史』、1,14,7.
  5. ^ エウトロピウス『首都創建以来の略史』、2,15.

参考資料[編集]

  • Thomas Robert Shannon Broughton : The Magistrates of the Roman Republic . Volume 1, New York 1951, p. 186, 196f.
  • Friedrich Münzer : Claudius 98 . In: Paulys Realencyclopädie der classischen Altertumswissenschaft (RE). Volume III, 2, Stuttgart 1899, Sp. 2692 (with corrective supplement).

関連項目[編集]

公職
先代
マルクス・ウァレリウス・マクシムス・ポティトゥス
ガイウス・アエリウス・パエトゥス
執政官
同僚:マルクス・アエミリウス・レピドゥス
紀元前285年
次代
ガイウス・セルウィリウス・トゥッカ
ルキウス・カエキリウス・メテッルス・デンテル
先代
マニウス・クリウス・デンタトゥス III
セルウィウス・コルネリウス・メレンダ
執政官
同僚:ガイウス・ファビウス・ドルソ・リキヌス
紀元前273年
次代
ルキウス・パピリウス・クルソル II
スプリウス・カルウィリウス・マクシムス II