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オストログスキ家

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オストログスキ公家の本拠地オストローフ町。中世・近世のルーシ人の政治・文化の中心。

オストログスキ家ポーランド語Ostrogscyウクライナ語Остро́зькі)は、14世紀から17世紀初頭にかけてリトアニア大公国ポーランド・リトアニア共和国に存在したルーシ系の公家である。ウクライナヴォルィーニ地方オストローフ町を本領としていた。ゲディミナスの子孫であったが、リューリクの子孫であると自称。自国を持たなかったルーシ人の指導者で、正教会の保護者であった。

当主

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紋章

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オストログスキ家の紋章

 関連項目

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脚注

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  1. ^ Kempa T. Dzieje rodu Ostrogskich. – Torun: Wydawnictwo Adam Marszałek, 2002. – s.151.

参考文献

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