アレクサンドル・カルピンスキ

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アレクサンドル・カルピンスキ
1947年のソビエト連邦の切手
人物情報
生誕 (1927-11-09) 1927年11月9日
ロシアの旗 ロシアスヴェルドロフスク州クラスノトゥリンスク
死没 2008年1月22日(2008-01-22)(80歳)
学問
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アレクサンドル・カルピンスキロシア語: Алекса́ндр Петро́вич Карпи́нский英語: Alexander Petrovich Karpinsky1847年1月7日 (NS) – 1936年7月15日)は、ロシア及びソビエト連邦地質学者鉱物学者地球科学者である。ロシア科学アカデミー(後にソビエト科学アカデミー)の会長を1917年から1936年まで務めた。

経歴

1847年、トゥリニスキエ・ルドニキ (スヴェルドロフスク州クラスノトゥリンスク)で鉱山技師の家に生まれた。1857~1866年、サンクトペテルブルクの鉱山学校で学び、金メダルを得て卒業した。その後、2年間ウラルで働く。1986年、ペテルブルクの鉱山学研究所の教官として呼び戻され、研究と教育に従事した(1896年まで)。1886年、ロシア科学アカデミーの会員に選ばれる。1917年には会長に選出され、没するまでその職にあった。

ウラル山脈の地質学的研究を行い、ウラル山脈よりも西側のヨーロッパ・ロシアの地質図を完成させた。ロシア革命の混乱から多くの科学機器や科学的記録を守るのに功績があった。

受賞・栄典

カルピンスキから命名された事物

脚注


先代
コンスタンチン・コンスタンチノヴィチ大公
ロシア科学アカデミー総裁
1917年 - 1936年
次代
ウラジーミル・レオンテヴィッチ・コマロフ