アリーナ・カバエワ
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
選手情報 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | Alina Maratovna Kabaeva | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | ロシア | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1983年5月12日(41歳) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生誕地 | ウズベキスタン、タシュケント | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 167cm | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 48kg | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
種目 | 新体操 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所属 | インターフィン | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
コーチ | イリーナ・ビネル | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
引退 | 2008年 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
アリーナ・カバエワ(露: Алина Маратовна Кабаева、英: Alina Maratovna Kabaeva、1983年5月12日 - )は、ロシアの元新体操選手。政治家。
経歴
ウズベキスタンの首都タシュケントにて、サッカー選手の父親とバスケットボール選手の母親の間に生まれる。3歳から新体操を始める。11歳のときに母と共にロシアのモスクワに移住し、名門クラブ・インターフィン(後のガスプロム)でイリーナ・ビネル(現ロシアの新体操ヘッドコーチ)の指導を受ける。
15歳、シニアデビューとなった1998年のヨーロッパ選手権でいきなり優勝すると、1999年の世界新体操選手権で個人総合優勝、種目別でも金メダル2つと銀メダル2つを獲得し、2000年のシドニーオリンピックでは金メダル確実と言われていた[1]。だが、シドニーではフープが場外に出てしまうミスを犯し銅メダルに終わる。
2001年の世界選手権で個人総合2連覇、団体・種目別合わせて計5つの金メダルを獲得するも、栄養補助食品に減量効果のある利尿剤フロセミドが含まれており、薬物使用違反。同じくロシアのイリーナ・チャシナとともに獲得メダルを全て剥奪され、1年間の出場停止処分を受ける。
2003年の世界選手権では2度目の個人総合優勝を果たし、計4つの金メダルを獲得。2004年のアテネオリンピックでは個人総合で念願の金メダルを獲得。同年、東京で開催されたイオンカップ優勝後、引退を表明。
2005年に現役に復帰。2007年、世界新体操選手権で種目別リボンで3位。同大会個人総合予選では4位となるものの、1国につき2人しか決勝進出できなかったため、カプラノワとセシナが決勝に進み、カバエワは予選敗退となった。2008年、再度の引退を表明。
人物
- 高い技術と柔軟性を活かしたカバエワの演技に対しては賛否両論あったが、カバエワが「新体操を変えた」ということは、広く言われている[2]。
- シドニー五輪以降、同じロシアのイリーナ・チャシナ、ウクライナのアンナ・ベッソノバとともに「3強」と称されていた。ロシアのオルガ・カプラノワ、ベラ・セシナは「カバエワの後継者」と称された。
- 2001年、東映映画「RED SHADOW 赤影」に出演。2005年にはDVDも発売された。
- 2008年、ロシア連邦下院選挙で統一ロシアより出馬し当選。
- 2008年にウラジーミル・プーチンとの交際が報じられたが、否定。この件を報じたタブロイド紙は突如、資金難を理由に休刊(但し1週間も経ずに再開)。
- 2009年12月に男子を出産。父親が誰かは明かされていない。
主な戦績
- 1999年
- 世界新体操選手権(大阪)個人総合1位
- エプソンカップ個人総合1位
- 2000年
- シドニーオリンピック個人総合3位(銅メダル)
- 2001年
- コルベールエンヌ新体操国際競技会個人総合2位
- イオンカップ個人総合1位
- 2002年
- イオンカップ個人総合1位
- 2003年
- コルベールエンヌ新体操国際競技会個人総合3位
- バルティク競技会個人総合1位
- ベルリングランプリ個人総合1位
- ワールドカップアゼルバイジャン個人総合1位
- 世界新体操選手権(ブダペスト)個人総合1位、同大会種目別ボール1位、リボン1位
- イオンカップ個人総合2位
- 2004年
- プレオリンピック個人総合2位
- テイエ国際大会個人総合4位
- アテネオリンピック個人総合1位(金メダル)
- イオンカップ個人総合1位。
- 2006年
- イオンカップ個人総合2位
- 2007年
- 世界新体操選手権リボン3位
参考文献
- 「アリーナ・カバエワPHOTO BOOK~バウハウスMOOK」メディア・クライス (ISBN:4-7788-0002-8)(2005/01)
- DVD「新体操の妖精 アリーナ・カバエワ HOLIDAY in JAPAN」東映ビデオ(2005/03/21)
- DVD「2004アテネオリンピック ゴールドメダリスト アリーナ・カバエワの新体操教室」東映ビデオ(2005/03/21)
脚注
- ^ 【新体操】失意乗り越えたカバエワ、念願の五輪金メダル『産経スポーツ』
- ^ カバエワ、悲願の金!「ルールの申し子」はやはり強かった『スポーツナビ』2004年08月30日、椎名桂子