アウグステ・ヴィクトリア・フォン・ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン

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アウグステ・ヴィクトリア

アウグステ・ヴィクトリア・ヴィルヘルミーネ・アントニエ・マティルデ・ルドヴィカ・ヨゼフィーネ・マリア・エリーザベト・フォン・ホーエンツォレルン=ジグマリンゲンAuguste Viktoria Wilhelmine Antonie Mathilde Ludovika Josephine Maria Elisabeth von Hohenzollern-Sigmaringen, 1890年8月19日 - 1966年8月29日)は、ポルトガルマヌエル2世の妻。王制廃止後に結婚したため、王妃とは認められなかった。ポルトガル語名ではアウグスタ・ヴィトリア(Augusta Vitoria Guilhelmina Antonia Matilda Luisa Josefina Maria Isabel)と呼ばれた。ペドロ5世シュテファニーは大叔母にあたる。

ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン侯ヴィルヘルムと、最初の妃マリーア・テレーザ(両シチリア王フェルディナンド2世の孫)の長女として、ポツダムで生まれた。

1913年9月、イギリスに亡命していたマヌエルと結婚。20年あまりの結婚生活で子供はできず、マヌエルは1932年にミドルセックス州で亡くなった。1939年4月、59歳のスウェーデン貴族ロベルト・ドゥグラス伯爵(Robert Graf Douglas)と再婚。この結婚でも子供はなく、1955年に死別。この後、故国ドイツへ帰り、アイゲルティンゲン(Eigeltingenフライブルク県コンスタンツ郡)で亡くなった。