おもろ

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おもろとはの意で、沖縄方言の「思い」から来た語である。沖縄の古い歌謡であり、14世紀末、中国大陸から三弦の伝来する以前に行なわれた歌曲の中心をなすもの。もっぱらノロ巫女)や神職によって歌われたものが一般的に知られたが、王家の儀礼楽として節句などの儀式の時に首里城で歌われたものは「王府のおもろ」と呼ばれて神聖視され、秘密裏に伝承された。

尚真王代から尚豊王代に首里王府により編纂された歌謡集おもろさうしに多くのおもろが収められている。

おもろは全てをつけて歌われたと見え一首ごとに節の名がついており、旋律はきわめて単純な楽句を反復するもので、手拍子のほか伴奏楽器を用いない。その節数は120に及ぶ。「王府おもろ」は、「梵唄(声明)の如し」と評されたように「産み字」が多く、きわめて冗長となり、歌詞を耳で判別できないほどに変化している。そのため、外来の仏教音楽(声明)の影響を受けたもので、沖縄音楽とは異質な存在とされてきたが、比嘉悦子金城厚らの研究により、沖縄市知花のウムイなどに類似した唱法があることが見出され、沖縄音楽の一つの流れとして位置づけられることが明らかになった。

近代以降

おもろは近代に入り衰え、稲穂祭り・唐船進水式・冠船戯・雨乞いなどにわずかに数首が歌われるのみであったが、明治以後王政廃止と共に全く見られなくなった。「王府おもろ」を伝えた「神歌主取」の安仁屋家の12代安仁屋真苅が伝承していた5曲6節を、琉球音楽史研究の先駆者・山内盛彬が採訪・伝承したものが唯一の記録で、1981年に沖縄県の無形文化財に指定された。安仁屋真苅の曾孫・安仁屋真昭が、晩年の山内盛彬より唱法を伝承している。

沖縄学の祖として知られる伊波普猷は、おもろやおもろさうし等について研究し多くの著述を残しており、のちのおもろ研究に多大な影響を与えた。

1999年、那覇新都心の地名「おもろまち」に採用されている。

参考文献(CD)

比嘉悦子ほか『沖縄の古歌謡~王府おもろとウムイ』(フォンテック、2006年)