Wikipedia:コメント依頼/118.83.135.128

IP:118.83.135.128会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisの、およびノート:定および阿羅漢およびノート:阿羅漢での編集と発言について、コメントを依頼します。--Leonidjp会話2017年6月25日 (日) 06:04 (UTC)[返信]

これまでの経緯[編集]

およびノート:定において[編集]

の記事に、IP:118.83.135.128会話 / 投稿記録(被依頼者)が要検証テンプレートを記入しましたが(差分)、このテンプレートの“title=”以降の部分に被依頼者が書き込んだ内容が、他の利用者に対する「脅し」とも受け取れる文意を含んでいます(下記)。被依頼者はこの要検証テンプレートをに2個記入しました。

  • {{要検証|title=この類の知見から自ら成道したとして、狂死・横死する人がいる。当方の知る限り今世紀に入って2人ほど伝聞しているが、出典の著者や出典採用者はそうした事象に責任が持てるのか?|date=2017年6月}}

なお、この要検証テンプレートが「この類の知見」と呼んでいるものは、下記の2件の資料であると思われます(参照)。

  • 藤本晃「パーリ経典に説かれる「九次第定」の成立と構造」、『印度學佛教學研究』第53巻第2号、2005年、 891-888頁、 doi:10.4259/ibk.53.891、 NAID 130004027834。
  • 藤本晃 『悟りの4つのステージ: 預流果、一来果、不還果、阿羅漢果』 サンガ、2015年、274頁、209頁、260-269頁。

この要検証テンプレートの記入について、依頼者がノート:定#2017/06/19-1にて被依頼者に下記のようにその意図を訊ねたところ、

これを記入した人に訊ねますが、これは、Wikipediaのの記事を読んだ人が「狂死・横死」するという可能性を提示することによって、特定の資料をの出典として採用することを思いとどまらせようとするものですか?--Leonidjp(会話) 2017年6月18日 (日) 15:16 (UTC)

被依頼者は次のように応答しました(差分)。

読んだ人がというより、信じ込んだ人がですね。当方は、いわゆるテーラワーダ仏教に対する見方をここ2、3年で180度変えまして、結構狂奔者を出しているのかもしれないと考えてみるようになりました。また出たよと捨て置かれるのではないかと。--118.83.135.128 2017年6月18日 (日) 18:51 (UTC)

以上。--Leonidjp会話2017年6月25日 (日) 06:04 (UTC)[返信]

報告 ノート:定にて、被依頼者と同一人物かと思われるIP利用者が、この件についての持論を発表しています(参照)。当コメント依頼を踏まえたうえでの発言とみられます。--Leonidjp会話2017年7月9日 (日) 03:21 (UTC)[返信]

阿羅漢およびノート:阿羅漢において[編集]

上述のにおける要検証テンプレートの記述および、ノート:定における被依頼者の発言と類似する発言が、この被依頼者によって阿羅漢ノート:阿羅漢においても行われています。

阿羅漢2017年5月16日 (火) 19:43時点における版には、13行目に下記の記述がありました(この記述の執筆者は、後述の利用者:Ryo 625さんや依頼者ではなく、複数のIP利用者です)。

無学位の果得者を示す男性名詞の arhan と、応供の資格を表す尊称(形容詞)の arhat とを、訳し分けることなく阿羅漢とする漢訳経典では、「偉大なる阿羅漢(にして)仏・如来」と言った表現が出現する。こうした表現は[[声聞]]や{{独自研究範囲|[[縁覚]](独覚:どっかく/辟支仏:びゃくしぶつ)や狭義の[[菩薩]]にもみられる|date=2016-12}}<ref>菩薩は極めて稀。菩薩の意味の広義化が関係するとみられる。[http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?key=%E9%98%BF%E7%BE%85%E6%BC%A2%E8%8F%A9%E8%96%A9&mode=search&uop=1  大正新脩大藏經テキストデータベース2007版 『阿羅漢菩薩』]{{要高次出典|date=2017-05}}</ref>。{{独自研究範囲|阿羅漢果は声聞乗ではなく、[[瞑想]]や[[座禅]]で想じて作す境地でもないとされる|date=2017-05}}<ref>大正新脩大蔵経テキストデータベース 『佛説廣博嚴淨不退轉輪經 (智厳)譯』 (T1819_.40.0836a24 ~): 非須陀洹果作須陀洹果想。非斯陀含果作斯陀含果想。非阿那含果作阿那含果想。非阿羅漢果作阿羅漢果想。非聲聞乘作聲聞乘想。非辟支佛乘作辟支佛乘想。阿難。汝往重告諸比丘比丘尼優婆塞優婆夷來集聽法。此法皆是汝等昔所未聞。{{要高次出典|date=2017-05}}</ref>。

これは、一次資料たる仏教経典(佛説廣博嚴淨不退轉輪經)および一次資料たる大正新脩大蔵経からのキーワード検索結果のみを出典として阿羅漢声聞縁覚菩薩瞑想座禅などの仏教用語に関する解説や要約を行っておりますが、それは信頼できる二次資料によって支持されている説ではないため、Wikipedia:独自研究は載せないの冒頭に書かれている独自研究の定義に該当しています(下記)。

独自研究(original research)とは、信頼できる媒体において未だ発表されたことがないものを指すウィキペディア用語です。ここに含まれるのは、未発表の事実、データ、概念、理論、主張、アイデア、または発表された情報に対して特定の立場から加えられる未発表の分析やまとめ、解釈などです。

このため、この13行目の内容は5月21日に依頼者(利用者:Leonidjp)が除去しました(参照)。

ところが、これが6月18日に被依頼者によって阿羅漢の11行目に復元されました(差分)。この時、復元と同時に新たな一次資料「折疑論」を被依頼者が出典に加えましたが、一次資料のみを出典として仏教用語の解説や要約を行っているという問題点は解消されていません(下記)。独自研究性および一次資料の読み方の問題点についてはノート:阿羅漢#2017/06/23-1およびノート:阿羅漢#2017/06/25も参照。

形容詞の arhat は応供としての資格を表す尊称であるため、漢訳経典では「偉大なる阿羅漢(にして)仏・如来」と言った表現が出現する。こうした表現は[[声聞]]や[[縁覚]](独覚:どっかく/辟支仏:びゃくしぶつ)<ref>大正新脩大藏經テキストデータベース 『[[折疑論]]([[師子]]述註)』 (T2118_.52.0797c01: ~): 昔華嚴會上二乘聖人。皆是漏盡大阿羅漢。阿羅漢。此云無學。昔者華嚴會上。佛説此經之時。聲聞縁覺二乘小聖。諸漏已盡。皆是煩惱斷盡阿羅漢。</ref>、{{独自研究範囲|狭義の[[菩薩]]にもみられる|date=2016-12}}<ref>菩薩は極めて稀。菩薩の意味の広義化が関係するとみられる。[http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?key=%E9%98%BF%E7%BE%85%E6%BC%A2%E8%8F%A9%E8%96%A9&mode=search&uop=1  大正新脩大藏經テキストデータベース2007版 『阿羅漢菩薩』]{{要高次出典|date=2017-05}}</ref>。arhat を語幹に持つ अर्हत्फल(arhatphala)や अर्हत्त्व(arhattva)は阿羅漢果と[[漢訳]]され、英訳では arhatship が当てられている{{要出典|date=2017年6月17日 (土) 07:27 (UTC)|title=}}。果得としての阿羅漢果は声聞乗ではなく、[[瞑想]]や[[座禅]]で想じて作す境地でもないとされる<ref>大正新脩大蔵経テキストデータベース 『佛説廣博嚴淨不退轉輪經 (智厳)譯』 (T1819_.40.0836a24 ~): 非須陀洹果作須陀洹果想。非斯陀含果作斯陀含果想。非阿那含果作阿那含果想。非阿羅漢果作阿羅漢果想。非聲聞乘作聲聞乘想。非辟支佛乘作辟支佛乘想。阿難。汝往重告諸比丘比丘尼優婆塞優婆夷來集聽法。此法皆是汝等昔所未聞。{{要高次出典|date=2017-05}}</ref>。

これを6月18日に利用者:Ryo 625さんが取り消しによって記事から除去しました(差分)。

この取り消しを受けて、被依頼者は2017/06/19に上述の11行目を阿羅漢に復元し(差分)、ノート:阿羅漢にて下記のように発言しました(差分)。

利用者:Ryo 625は、新たに出典が追加されているにも関わらず差し戻したが、矛盾する記述だけ残して、最悪オウムのようなカルトが出現することに責任を負えるのか? --118.83.135.128 2017年6月19日 (月) 03:29 (UTC)[返信]

ここで被依頼者が言っている「新たに(追加された)出典」というのは、この被依頼者が6月18日に付け加えた一次資料「折疑論」を指しているものと思われます(被依頼者が新たに加えた出典はそれのみなので)。つまりここで被依頼者は「自分が新たな一次資料1件を出典として付け加えたのに、段落全体を差し戻し(取り消し)によって除去されたのは不当だ」という趣旨のことを主張しているのだと思われます。また、被依頼者が上述のように言っている「矛盾する記述」とは何のことか不明です。--Leonidjp会話2017年6月25日 (日) 06:04 (UTC)[返信]

参考リンク[編集]

上述の阿羅漢に被依頼者が加筆した内容のうち、「佛説廣博嚴淨不退轉輪經」という仏教経典(一次資料)を出典とした記述と類似するもの・または殆ど同じものが、阿羅漢以外にも記述されています(下記)。加筆者はいずれもIP利用者ですが、IPアドレスは必ずしも一致しません。

被依頼者は、利用者‐会話:Leonidjp/ipuserlogに列挙されている約60件のIP利用者と同一人物であることが確認できています。この被依頼者は、および阿羅漢にて上述の編集を行うよりも前に、少なくとも5回、他の利用者からWikipediaの方針を守るよう要望されています(下記)が、要望には必ずしも同意しておりませんし、自身の編集は独自研究ではない旨の陳述をしばしば行っています。しかし、自身の編集が独自研究になぜ該当しないかについての具体的な説明は殆どなされません。

以上。--Leonidjp会話2017年6月25日 (日) 06:04 (UTC)[返信]

コメント 内部リンクを一部修正しました。--Leonidjp会話2017年7月10日 (月) 00:34 (UTC)[返信]

依頼者のコメント[編集]

まず、ノート:定における被依頼者の行為について。被依頼者がに書き込んだ上述の要検証テンプレートの中身は、その文意からみて、Wikipediaのの記事を読んだ人が「狂死・横死」するという可能性を提示することによって、特定の資料をの出典として採用することを阻止しようとするものであると解釈できます。ノート:定#2017/06/19-1における被依頼者の応答(参照)も、そのことを否定していません。被依頼者は、において出典として採用されている上述の2件の二次資料の内容のどこにどのような問題があるかを具体的に明示するのではなく、〈の記事に書いてあることを読んだ人(信じ込んだ人)が「狂死・横死」する可能性〉なるものを提示することでこれらの二次資料をの出典から外させようとしており、このように他人の「死」や「生命の危険」を盾にとった「脅し」のような表現をもってWikipediaの記事の内容や出典を改変しようとする態度は不当です。被依頼者が提示している「狂死・横死の実例」なるものの事実性は全く不明であり、その死の原因が被依頼者の主張のとおりであることの保証も全くありません。

次に、被依頼者の阿羅漢への加筆とノート:阿羅漢での発言について。阿羅漢に存在している、一次資料のみを出典として仏教用語の解説や要約を行っている記述が独自研究であることは上述のとおりです。この記述の出典として一次資料をさらに加えたとしても、出典が一次資料しかない仏教解説は「信頼できる情報源」において未発表の説であることは上述のとおり明白でありますし、一次資料の読み方自体にも問題点があることはノート:阿羅漢#2017/06/23-1にも詳述済みです。被依頼者は上述のようにノート:阿羅漢でも「オウムのようなカルトが出現する可能性」なるものを提示することにより(参照)、一次資料のみしか出典のない上述の仏教解説を阿羅漢に掲載し続けるべきと主張していると解釈できます。これは独自研究の披露を禁じるWikipediaの方針に反しています。また、阿羅漢の記事の何が「カルト」の出現をもたらしうるのかは不明です(被依頼者が明示しないため)。

においても阿羅漢においても、被依頼者は他人の「死の可能性」や「カルトの出現の可能性」なるものを根拠にしてWikipediaの記事の記述や出典を改変しようとしています。他の利用者に対して「責任を取れるのか?」と上述のように詰問していることから伺えるように、これは他の利用者に対する「脅し」も含意する悪質な行為であると考えます。たとえ被依頼者の動機が善意であったとしても、このような行為そのものは看過すべきものではないと思います。--Leonidjp会話2017年6月25日 (日) 06:04 (UTC)[返信]

被依頼者のコメント[編集]

覚醒剤やサリンガスの作り方を懇切丁寧に Wikipedia に記述してよいのかという公序良俗の問題があり、ましてそれらが夢の新薬だが、滅多には作れないというガセな書き方がされていたとしたら、われもわれもとなるでしょう。そういう問題がある。Wikipedia のページに四向四果が立ち上がっているのにさえ、私はびっくりしたのだが、それも時代の流れと受け止めて対処していくしかないであろう。--118.83.146.234 2017年6月25日 (日) 18:10 (UTC)[返信]

第三者のコメント[編集]

  • コメント 第3者です。なぜ死人が出るのか、無宗教の私には全く理解できませんが、「イエス・キリスト釈迦に何か書いたら、信者がショックで死ぬかもしれない」というような意味で良いでしょうか?で、あればまともに取り合う必要はなく、管理者伝言板行き(目的外利用)で良いでしょう。IPを変えて現れるのであれば、その都度ブロック、それも続くようであれば広域ブロック依頼、でしょうか。--JapaneseA会話2017年6月25日 (日) 13:31 (UTC)[返信]
  • コメント 動機はともかく、118IP氏が方針を逸脱した編集を行った事例は確認できましたが…それ以前に、問題勃発以後の一連の仏教用語記事は私のような一般人には読解困難です。例えば、118IP氏によるこの編集では、呼称という節名を概要に変更されています。この概要が「阿羅漢とはなにか」という説明になっているのか、導入部として適切な「理解しやすい表現」なのか疑問です。求められているコメントとは違うかもしれませんが、IP氏のみならず、関係者の皆様にはWikipedia:専門的な記事も分かり易くを読んでいただいて、せめて導入部だけでも、素人にも「なんとなく理解できた気がする」ような内容になることを望みます。--茂林寺たぬき会話2017年6月26日 (月) 00:13 (UTC)[返信]
  • コメント これは単発の問題ではなくて、118.83のIPアドレスの範囲がWikipedia:コメント依頼/118.83.141.75とかぶりますし、仏教系、漢文出典、独自研究など同一人物でしょう。半年以上、独自研究と自己の観点の強要を継続されており、確認されただけでも65以上のIPアドレスを用いてアカウントもないため履歴参照と対話継続が難しくなっていると思われます。先のコメント依頼にまとめますが、該当範囲のIPアドレスのブロックの検討がいいのではと思います。--タバコはマーダー会話2017年7月7日 (金) 03:09 (UTC)[返信]

まとめ[編集]