Informix

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Informix(いんふぉみっくす)は、IBM関係データベース管理システム (RDBMS) 製品群の名称。2001年に買収した企業(Informix または Informix Software)が1980年に開発したものが起源である。

概要[編集]

Informix データベース管理システム (DBMS) は1970年代末に Roger Sippl が考案・設計した。1980年に Informix 社が設立され、1986年に株式公開され、1990年代にはOracle に次ぐデータベースシステムの地位を得るに至った。しかし成功は長くは続かず、経営上の失敗が度重なって 2000年までに財政的に極めて困難な状態となった。

2001年、Informix最大の顧客であったウォルマートの示唆を受けて、IBMが Informix を買収した[1]。IBM は DB2 と Informix の技術共通化に関する長期計画を持っている。2005年初め、IBM は Informix Dynamic Server (IDS) バージョン10 をリリースした。

2006年IBM内でデータサーバ技術を IDS(Informix Dynamic Server)に集約する動きがあった。DB2 部門を統括していた Janet Perna は30年以上勤務した同社を退職し、同部門は DB2 Information Management 部門から Information Management 部門へと改称された。

IDS は IBM 内では戦略データサーバ(strategic data server)という位置づけになっている。2007年、IBM は Informix (IDS) バージョン11 をリリースした。2008年5月、IBM はInformix (IDS) バージョン11.5 を発表した。

歴史[編集]

1980年: 草創期[編集]

Roger Sippl と Laura King は、S-100バスCP/M関係の企業クロメムコに勤務していた。そこで報告書作成ソフトウェアのための ISAM技術に基づいた小型の関係データベースの開発に従事した。

Sippl と King は1980年に同社を辞め、Relational Database Systems(RDS)を設立。最初の製品 Marathon は彼らがクロメムコで開発したシステムの16ビット版であり、ザイログの初期のマイクロプロセッサ向けのUNIX(Onyx)上で動作した。

彼らは成長しつつある関係データベース管理システム (RDBMS) 市場に注目し、1981年に Informix(INFORMation on unIX)をリリースした。これには独自の言語 Informer が含まれていた。また、データを抽出して読みやすい報告書を作成するサブシステム ACE も付属していた。画面入力フォーム作成ツール PERFORM もあり、ユーザーが対話的にデータベースとやりとりすることができた。この製品の最終バージョンは 3.30 で、1986年にリリースされた。

1985年、新たなSQLベースのクエリエンジンが INFORMIX-SQL(ISQL)バージョン1.10 の一部としてリリースされた。もちろん、ACE と PERFORM のSQL対応版も含まれている。ISQL と以前の Informix の最大の違いは、データベースアクセスコードをクライアントコードと完全に分離した点である。これがクライアント・サーバ型のデータベースシステムへの布石となった。

1980年代前半を通して、Informix は市場で優位に立つことはなかったが、1980年代中ごろには UNIX と SQL の組合せが人気となり、情勢が変わってきた。1986年には株式公開にこぎつけ、社名を Informix Software に変更した。当時の製品は INFORMIX-SQL バージョン2.00 と INFORMIX-4GL 1.00 であり、どちらもデータベースエンジンと開発ツールを含んでいる(I4GL はプログラマ向け、ISQL は非プログラマ向け)。

その後も新製品のリリースが続き、新たなクエリエンジンを使った INFORMIX-Turbo がリリースされた。Turbo は ISAM よりマルチユーザー性能が優れた RSAM 技術を使っている。1989年、バージョン4.00 製品がリリースされ、Turbo は INFORMIX-OnLine と改称(オンライン状態でユーザーが使用中にデータベースバックアップが可能)、従来のC-ISAMベースのサーバ機能(ISQL と I4GL)はツール群と分離され、INFORMIX-SE(Standard Engine)と改称された。Informix OnLine の バージョン5.00 は1990年末にリリースされた。これには2相コミットストアドプロシージャによる分散トランザクション機能が含まれている。

1988年: Innovative Software 買収[編集]

1988年、Informix はDOSおよびUNIX向けのオフィスソフトのメーカー Innovative Softwareを買収した。特に WingZ というMacintosh表計算ソフトが有名であった。

WingZ は高度なGUIで巨大な表が使え、HyperScript と呼ばれるHyperCard風の言語でプログラミング可能であった。最初のリリースは好評で、Microsoft Excelに次ぐ2位のシェアを獲得した。1990年、WingZ は主にUNIX系OS向けにいくつかのプラットフォームに移植され始めた。このころ、多くの金融機関は大型の金融モデルを計算するためにパーソナルコンピュータよりも強力なシステムを必要としており、UNIXワークステーションがその目的で使われ始めたのであった。そのため、ある期間、WingZ はこのニッチ市場で成功を収めた。

しかし、サーバ向けでないソフトウェア市場に対する全体的な理解不足から、開発やマーケティングのリソースが不足するようになった。1990年代初め、WingZ は競争力を失い、Informix はこれを1995年に売却した。また、ライセンスはクラリスに売却され、そこからGUIを改良して Claris Resolve が生まれた。

1994年: 動的スケーラブルアーキテクチャ[編集]

オフィスソフトで失敗し、Informix は再度データベースサーバ市場に注力するようになった。1994年、シークエント・コンピュータとの協業で、Informix はバージョン6.00データベースサーバをリリースした。その目玉となった機能が動的スケーラブルアーキテクチャ(DSA)である。

DSA は製品のエンジン中核部を大幅に刷新し、垂直および水平の並行性をサポートするもので、シークエントが得意とした対称型マルチプロセッシング向きのマルチスレッド型コアを採用していた。この動きにサン・マイクロシステムズヒューレット・パッカードも追随した。これにより業界でもトップレベルのスケーラビリティを備え、OLTPにもデータウェアハウスにも対応可能となった。

現在は Informix Dynamic Server (IDS) として知られるこの製品は 1994年にバージョン7 がリリースされた。当時、ちょうどUNIXでは対称型マルチプロセッシングが一般化しつつあった。バージョン7は当時の競合他社製品より進んでおり、性能ベンチマークでも常に勝っていた。その結果、Informix は1997年までにサイベースを押しのけ、業界2位となったのである。

バージョン7の成功により、Informix は中核部分の設計を2段階とし、従来からの延長を XMP(eXtended Multi Processing)、より大型のシステム向けを XPS(eXtended Parallel Server)として、バージョン8をリリースした。XPS はデータウェアハウスやクラスター上のデータベースを指向している。

1995年: Illustra 買収[編集]

1995年、Informix はオブジェクト関係データベース(ORD)に着目し、Illustra を買収した。Illustra はマイケル・ストーンブレーカーPostgres開発チームが作ったもので、データベースとオブジェクトを関連付ける各種機能を備え、多くのプロジェクトでプログラミングにかかる時間を劇的に改善できる機能が備わっていた。Illustra には DataBlades と呼ばれる新たなデータ型をサーバに導入できる機能があった。これらの機能がSQLが時系列データやマルチメディアデータを扱う際の問題への解決策を与えた。Informix はこれらの機能を 7.x OnLine 製品に取り入れ、Informix Universal Server(IUS)と名づけた(また、通常バージョン9と呼ばれている)。

V8(XPS)と V9(IUS)は1996年にリリースされ、Informix は三大データベース企業(他はオラクルサイベース)の中でいち早くオブジェクト関係データベースをサポートすることとなった。特に DataBlades は注目され、人気となり、即座に各プラットフォームに移植されていった。他社はこの動きにあわてた。オラクルは追加パッケージとして時系列サポートを1997年に行い、サイベースはサードパーティに解決策を求めた。

1997年: 経営問題[編集]

技術的には成功したものの、マーケティングと企業運営での失敗が影を落とした。1997年4月1日、Informix は収益が予測より1億ドル少ないことを公表した。この時点がInformixの成長の最高点だった。技術的には進化を続けたものの、1997年のCEO解任に端を発した経営陣のごたごたにより、会社は勢いを失っていった。

2001年: その他の買収[編集]

2000年、Informix に起きた出来事はもはや技術革新の話ではなかった。3月、Informix は、それまでも何度も合併を繰り返してきた Ardent Software を買収した。これにより、多次元型エンジン UniVerse と UniData が製品系列に加わった。他にも Informix 以外のエンジンとしてデータウェアハウス向けの Red Brick、Java言語で書かれた Cloudscape などもあった。

6月、Ardent の前 CEO James D. Foy が Informix の CEO に就任し、彼は Informix を買収の対象として魅力的になるよう改編していった。大きな変更として、全てのデータベースエンジン技術とアプリケーションおよびツールを分離した。

2001年、IBM は Informix を買収し、そのデータベース技術とブランドと将来の開発計画と10万を超える顧客ベースを入手した。アプリケーションおよびツールは買収には含まれず、Ascential Software という会社になった。

2005年5月、IBM は Ascential Software の買収も完了した。

2002年: 経営問題の余波[編集]

2002年11月、1997年に解任された元CEO フィリップ・ホワイトは連邦大陪審に起訴され、セキュリティ、メール詐欺など8つの訴因で告発された。13ヵ月後、司法取引により米国証券取引委員会への偽の報告書提出の罪を認めた。

2004年5月、司法省はホワイトが2ヶ月間連邦刑務所に収監されたことを発表した。また、罰金は1万ドルで、2年間保護観察下におかれ、300時間の公共サービス従事が義務付けられた。この発表では、これらが株主が被った損害を考慮した罰ではないことを強調した。

Informix でヨーロッパを任されていた Walter Königseder も同様に起訴されたが、ドイツ在住であったため、引渡しが行われなかった。

2005年11月、Informix と フィル・ホワイトの事の顛末を記した本が出版された。

主な製品[編集]

参考文献[編集]

  1. ^ 記事のアーカイブ HP's Secret Software Weapon出典

外部リンク[編集]