頼文鴻

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頼 文鴻(らい ぶんこう、Lài Wénhóng、? - 1864年)は、太平天国の指導者の一人。弟は頼文光

広東省嘉応州出身。池州を守備していた韋俊の配下であったが、1859年に韋俊が軍に投降すると、黄文金劉官芳らとともに池州を奪回し、安徽省南部に駐屯した。その後、1860年第二次江南大営攻略に参加し、天京の包囲を解くのに成功し、匡王に封ぜられた。1864年には黄文金とともに湖州を守っていたが、天京陥落後の7月になって江西省を目指して進軍を開始したが、安徽省寧国で戦死した。