関興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索

関 興(かん こう、生没年不詳)は、三国時代の官僚・軍人。(蜀漢)に仕えた。字は安国関羽の子。兄弟に関平がいる。子は関統関彝

正史では関羽伝にてわずかに触れられているのみである。そこでは、関羽が死ぬとその跡を継いだこと、そして諸葛亮からも将来を嘱望された人物であり、夷陵の戦いで戦死した馬良の後任として20歳にして侍中、中監軍に任じられる異例の大抜擢を受けるが、数年後に没したことが記されている。

[編集] 三国志演義

小説『三国志演義』では弟に関索がいる他、関平は関羽の養子で、関興の義兄となっている。

父・関羽とともに樊城攻めに出陣していたが、戦果を報告するために戦列を離れていたので難を逃れる。劉備が関羽の弔い合戦として征伐の軍を挙げる際、その先鋒を張飛の息子である張苞と武芸比べで争う。勝負は互角であったが、劉備の采配で一年年長の張苞を兄、関興を弟として義兄弟の契りを結ぶ事になる。関羽の弔い合戦では全身に白い鎧をまとって出陣。そこで亡き父の霊に助けられ、父の仇の一人である潘璋を斬り青龍偃月刀を取り返す。呉征伐の終盤、夷陵の戦いにおいては劉備をかばい重傷を負うことになる。しかし以後も蜀軍における将軍として度重なる北伐に参加し、張苞と同じく得物は父の形見である青龍偃月刀を用い、たびたび関羽の霊に助けられつつ活躍する。第4次北伐には病のため参加できず、ほどなく病没することになっており、諸葛亮はこの訃報を漢中で受け、悲しみのあまり倒れてしまうという描写である。

[編集] 関連項目

個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス
他の言語