野田城 (河内国)

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野田城
大阪府
城郭構造 平城
天守構造 なし
築城主 野田四郎正勝
築城年 南北朝時代14世紀)1326年
主な城主 野田氏
廃城年 1360年
遺構 なし、石碑あり
指定文化財 未指定
位置 北緯34度31分14.0秒 東経135度32分40.9秒 / 北緯34.520556度 東経135.544694度 / 34.520556; 135.544694
地図
野田城の位置(大阪府内)
野田城
野田城
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野田城(のだじょう)は、河内国丹比郡野田荘(大阪府堺市東区)にあった日本の城

由来は、はじめて野田が所見したのは宝珠院領としての1206年であり、野田の起源は古事記の反正天皇の段に記されており、「多治比野」から来たものと言われている[1]

これは〝丹比〟と同意語で“原野”という意味もあり、原野であったのが一部開拓された荘園ということが出来る。

これを初めて開拓し、統治を任されたのが、野田四郎という住人とされている。

概要[編集]

南北朝時代に野田荘の地頭をしていた野田四郎正勝が築き、第3代野田兵部正康までの平城であったという[2]。居住区は「土井」と呼ばれる野田村に近い場所であり、野田村は心優しい人の集まった村だったという。城跡は現在、東区南野田の「すかしゆり公園」内にある。

野田城の目的・使命としては、伝えの城と呼ばれ、楠木軍の根城へ連絡するという役目の城の要素が大きいと考えられる。丹比、丹南の方面から攻め来る北条・足利軍の敵をいち早く見つけ、すぐ狼煙で野田城の本丸に連絡したことを思う。

歴史[編集]

当の野田四郎は天見村(現在の河内長野市)の岩瀬の出身であることが最近の地元の郷土研究科からの古文書から推測出来る。観心寺から地頭として野田の荘を管理するよう委託する文書があり、宛名が岩瀬四郎になっていた。最近になってどうやら大東市の菅原神社の宮司である野田二郎氏が、その子孫ではないかと言われている。

野田四郎正勝の孫にあたる兵部正康の子で当時3歳であった松若丸と、1歳の弟が落ち延びる際「乳母のふところ」に避難して一命を取り留めた。当時1歳である次男の孝二郎正忠が尾張まで逃げ延びた後、橘氏と名乗った説があるが定かではない。もし史実ならば、同じ乳母のふところで難を逃れた3歳の松若丸は、前述の菅原神社の宮司・野田二郎の先祖ということになる。

穂出籬山(ホデガキヤマ)にはもともと「法蓮寺」という寺と野田庄の氏神として祀られている「牛頭天王宮」がある。

当時は地理的に「四方を段崖に囲まれた難航不落の城」というイメージだが、攻めてみると、外山と繋がっている為、外山方面から攻められると逃げ場もなく案外攻めやすい城だったのではないかと推測される。野田城は石垣や堀が無く、櫓や建物を作り守りに出はなく敵を引き寄せるよう築いた平城。

この時代の城は城主がそこに住まうのではなく、いざという時の集会場であり、野田四郎正勝も南野田の北端の「土井」というところに住居を構え、必要な時に城に出向いて指揮をとったとのこと。

城は村人に被害が出ないようにしており少し離れた所に建てていた。城主も平素な生活に不便ないように、村人の近くに居住を築いて生活していた為、村人との親睦は厚かったとみられる。

楠木正成と野田四郎正勝はごく近縁であった。

  • 1326年 野田庄地頭の野田四郎正勝によって、穂出籬山(ほでがきやま)の高台に野田城が築かれた。
  • 1333年 楠木軍の掃討に遭った野田氏はそれ以来南朝の後醍醐天皇を奉り、楠木氏に忠誠を尽くすことになった。
  • 1336年 四郎正勝は楠木正成に従い、足利軍の上洛を阻止するが湊川の合戦に挑むが共に戦死した。
  • 1338年 高師直の北朝軍に取り囲まれるが、四郎正勝の子・四郎正氏の知略により大きな損害を免れた。「いばらの垣根」「泥田」「紙張りの城」などで進軍を遅らせ、敵の目を欺き村人の犠牲を防いだ。
  • 1348年 四郎正氏は四条畷の合戦楠木正行と共に戦死する。
  • 1360年 足利の大軍に包囲された四郎正氏の子・兵部正康は城に火を放ち城外で戦うが、そこは女・子どもを巻き込んだ凄惨な戦場と化し、野田村は壊滅状態となった。兵部正康は狭山の明神山まで退却して奮戦したが戦死し、子孫は奈良から尾張方面に逃れたと伝えられている。(異説あり)[3]
  • 1360年 足利の大軍に包囲された四郎正氏の子・兵部正康は城に火を放たれ、城外で戦うが、そこは女・子どもを巻き込んだ凄惨な戦場と化し、野田村は壊滅状態となった。兵部正康は家臣に逃がされ寺に逃げ込み、死んだ野田村のことを思い修行を積み、明鏡山・教恩寺を建てた。(異説あり)

関連画像[編集]

注釈[編集]

  1. ^  
  2. ^ 堺市公式HP
  3. ^ 河内国野田城の歴史 | NDLサーチ | 国立国会図書館”. 国立国会図書館サーチ(NDLサーチ). 2021年12月28日閲覧。

文献・参考リンク[編集]