藤田孫平

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藤田 孫平(ふじた まごへい、1844年弘化元年10月[1])- 1920年大正9年)2月6日[1])は、明治から大正時代前期の政治家衆議院議員(2期)。京都府加佐郡新舞鶴町長。幼名・幸助[2]

経歴[編集]

若狭国遠敷郡羽賀村[2]福井県遠敷郡国富村[3]を経て現小浜市)で、藤田孫左エ門の長男として生まれる[2]。農業を営む傍ら、戸長、国富村会議員、遠敷郡会議員を歴任し[1]1880年(明治13年)3月、滋賀県会議員に当選する[3]。同常置委員、副議長を務めたのち、1881年(明治14年)2月の福井県設置に伴う嶺南4郡の滋賀県復県運動に活躍した。1884年(明治17年)福井県属に転じ三方郡長を拝命する[3]1888年(明治21年)遠敷郡長となった[3]。ほか、三方銀行重役や京都府加佐郡新舞鶴町長を務めた[1]

1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では福井県第4区から出馬し当選[1]。同志倶楽部に所属した[1]。つづく第2回総選挙でも当選し衆議院議員を2期務めた[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 衆議院、参議院 1962, 431頁.
  2. ^ a b c 『福井県大百科事典』882頁。
  3. ^ a b c d 木戸 1890, 379頁.

参考文献[編集]