加佐郡

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京都府加佐郡の位置

加佐郡(かさぐん)は、京都府丹後国)にあった

郡域[編集]

1897年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、概ね下記の区域にあたる。

歴史[編集]

古代[編集]

7世紀に丹波国に属する加佐評として建てられた[1]701年に郡制の加佐郡となり、713年丹後国が分けられるとこれに属した。平安時代と室町時代には加佐郡に丹後の国府が置かれた。

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和名類聚抄』に記される郡内の

  • 志楽郷
  • 高橋郷(椋橋郷)
  • 大内郷
  • 田造郷(田辺郷)
  • 余戸郷
  • 凡海郷
  • 志託郷
  • 有道郷
  • 川守郷
  • 神戸郷

式内社[編集]

延喜式神名帳に記される郡内の式内社

神名帳 比定社 集成
社名 読み 付記 社名 所在地 備考
加佐郡 11座(大1座・小10座)
奈具神社 ナクノ
伊知布西神社 イチフセノ
弥加宜神社 イヤカキ
ミカゲノ
倭文神社 シトリノ
高田神社 タカタノ
大川神社 オホカハノ 名神大 大川神社 京都府舞鶴市 [1]
阿良須神社 アラスノ
笶原神社 ヤハラノ
麻良多神社 マラタノ
三宅神社 ミヤケノ
日原神社 ヒハラノ
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近世以降の沿革[編集]

知行 村数 村名
幕府領 幕府領 3村 波美村、蓼原村、公庄村
藩領 丹後田辺藩 1町
134村
金屋村、上野村、在田村、南山村、常津村、尾藤村、千原村、南有路村、北有路村、二箇村、市原谷村、三河村、高津江村、地頭村[2]、大俣村、桑飼上村、滝ヶ宇呂村、岡田由里村、西方寺村、河原村、下見谷村、下漆原村、上漆原村、長谷村、富室村、志高村、久田美村、桑飼下村、上東村、三日市村、大川村、八戸地村、八田村、丸田村、和江村、石浦村、由良村、神崎村、油江村、蒲江村、水間村、中山村、下東村、上福井村、下福井村、喜多村、大君村、吉田村、青井村、白杉村、京田村、十倉村、真倉村、七日市村、公文名村、伊佐津村、引土村、女布村、高野由里村、野村寺村、城屋村、田辺町[3]、円満寺村、白滝村、寺田村、岸谷村、上根村、別所村、布敷村、池内下村[4]、堀村、今田村、万願寺村、境谷村、倉谷村、福来村、天台村、清道村、上安村、上安久村、下安久村、和田村、長浜村、余部上村、余部下村、北吸村、浜村、森村、行永村、常村、木ノ下村、与保呂村、多門院村、堂奥村、溝尻村、市場村、泉源寺村、田中村、安岡村、小倉村、鹿原村、吉坂村、松尾村、杉山村、笹部村、登尾村、岡安村、白屋村、長内村、下谷村、朝来中村、大波上村、大波下村、平村、赤野村、中田村、多祢寺村、河辺中村、西屋村、室牛村、河辺由里村[5]、観音寺村、河辺原村、栃尾村、大山村、田井村、成生村、野原村、小橋村、三浜村、瀬崎村、大丹生村、千歳村、佐波賀村、新宮村[6]
丹後宮津藩 11村 仏性寺村、北原村、毛原村、内宮村、二俣村、天田内村、橋谷村、関村、河守村、小原田村、日藤村
幕府領・藩領 幕府領・田辺藩 1村 夏間村
1.河守上村 2.河守下村 3.河西村 4.河東村 5.有路上村 6.有路下村 7.岡田上村 8.岡田中村 9.岡田下村 10.丸八江村 11.東雲村 12.由良村 13.神崎村 14.四所村 15.舞鶴町 16.高野村 17.中筋村 18.池内村 19.余内村 20.倉梯村 21.与保呂村 22.志楽村 23.朝来村 24.東大浦村 25.西大浦村(紫:福知山市 桃:舞鶴市 赤:宮津市)
  • 明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、下記の各村が発足。特記以外は現・舞鶴市。(1町24村)
    • 河守上村 ← 仏性寺村、北原村、毛原村、内宮村、二俣村、天田内村、橋谷村(現・福知山市)
    • 河守下村 ← 河守町、金屋村、関村、上野村、波美村(現・福知山市)
    • 河西村 ← 蓼原村、小原田村、日藤村、公庄村(現・福知山市)
    • 河東村 ← 南山村、夏間村、在田村、常津村、尾藤村、千原村(現・福知山市)
    • 有路上村 ← 北有路村、南有路村(現・福知山市)
    • 有路下村 ← 三河村、高津江村、二箇村、市原谷村(現・福知山市)
    • 岡田上村 ← 桑飼上村、桑飼下村、地頭村、大俣村、滝ヶ宇呂村
    • 岡田中村 ← 西方寺村、富室村、上漆原村、下漆原村、長谷村、河原村、岡田由里村、下見谷村
    • 岡田下村 ← 志高村、久田美村、大川村
    • 丸八江村 ← 丸田村、八田村、八戸地村、和江村
    • 東雲村 ← 三日市村、上東村、下東村、中山村、水間村
    • 由良村 ← 由良村、石浦村(現・宮津市)
    • 神崎村 ← 蒲江村、油江村、神崎村[7]
    • 四所村 ← 上福井村、下福井村、新宮村、喜多村、大君村、吉田村、青井村、白杉村
    • 舞鶴町(舞鶴町[8]が単独町制)
    • 高野村 ← 女布村、高野由里村、城屋村、野村寺村
    • 中筋村 ← 公文名村、引土村、七日市村、伊佐津村、境谷村、京田村、真倉村、十倉村、万願寺村
    • 池内村 ← 今田村、堀村、池内下村、上根村、布敷村、別所村、寺田村、白滝村、岸谷村
    • 余内村 ← 円満寺村、上安久村、下安久村、和田村、長浜村、福来村、倉谷村、清道村、天台村、上安村、余部上村、余部下村
    • 倉梯村 ← 北吸村、浜村、森村、行永村、多門院村、堂奥村、溝尻村
    • 与保呂村 ← 与保呂村、木ノ下村、常村
    • 志楽村 ← 市場村、泉源寺村、田中村、安岡村、小倉村、鹿原村、吉坂村、松尾村
    • 朝来村 ← 杉山村、笹部村、登尾村、岡安村、白屋村、長内村、吉野村、朝来中村、大波上村、大波下村
    • 東大浦村 ← 河辺中村、西屋村、室牛村、河辺由里村、河辺原村、観音寺村、栃尾村、大山村、田井村、成生村、野原村
    • 西大浦村 ← 中田村、平村、赤野村、多祢寺村、佐波賀村、千歳村、大丹生村、瀬崎村、三浜村、小橋村
  • 明治23年(1890年12月10日 - 河守下村が町制施行・改称して河守町となる。(2町23村)
  • 明治35年(1902年6月1日 - 余内村の一部(余部上・余部下・和田・長浜)が分立して余部町が発足。(3町23村)
  • 明治39年(1906年7月1日 - 倉梯村の一部(北吸・浜・溝尻・森・行永)・志楽村の一部(市場および泉源寺の一部)が分立して新舞鶴町が発足。(4町23村)
  • 明治32年(1899年)7月1日 - 郡制を施行。
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 大正8年(1919年11月1日 - 余部町が改称して中舞鶴町となる。(5町23村)
  • 昭和3年(1928年10月1日 - 丸八江村・東雲村が新設合併して八雲村が発足。(5町22村)
  • 昭和11年(1936年8月1日 - 四所村・高野村・中筋村・池内村・余内村が舞鶴町に編入。(5町17村)
  • 昭和13年(1938年)8月1日
    • 舞鶴町が市制施行して舞鶴市となり、郡より離脱。(4町17村)
    • 新舞鶴町・中舞鶴町・倉梯村・与保呂村・志楽村が合併して東舞鶴市が発足し、郡より離脱。(2町14村)
  • 昭和17年(1942年)8月1日 - 朝来村・東大浦村・西大浦村が東舞鶴市に編入。(2町11村)
  • 昭和26年(1951年)4月1日 - 河守町が河守上村・河西村・河東村・有路上村・有路下村を編入のうえ改称して大江町となる。(2町6村)
  • 昭和30年(1955年4月20日 - 岡田上村・岡田中村・岡田下村・八雲村・神崎村が合併して加佐町が発足。(2町1村)
  • 昭和31年(1956年9月20日 - 由良村が宮津市に編入。(2町)
  • 昭和32年(1957年5月27日 - 加佐町が舞鶴市に編入。(1町)
  • 平成18年(2006年1月1日 - 大江町が福知山市に編入。同日加佐郡消滅。

変遷表[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 藤原京藤原宮の北をめぐる外濠から「丙申年七月旦波国加佐評」と読みとれる木簡が出た。旦波は丹波の古名。丙申年は696年。奈良国立文化財研究所『藤原宮木簡』一、155、奈良国立文化財研究所史料XII、1978年、解説78頁。
  2. ^ 地頭村・小俣村に分かれて記載。
  3. ^ 田辺郷新田町分・「田辺郷新田・大野辺分」に分かれて記載。
  4. ^ 記載は池内村。
  5. ^ 記載は由里村。
  6. ^ 「旧高旧領取調帳」には記載なし。
  7. ^ 同年に大字東神崎・西神崎に分かれる。
  8. ^ この時点では舞鶴北田辺町、舞鶴南田辺町、舞鶴大内町、舞鶴東吉原町、舞鶴西吉原町、舞鶴職人町、舞鶴魚屋町、舞鶴丹波町、舞鶴平野屋町、舞鶴本町、舞鶴竹屋町、舞鶴寺内町、舞鶴松陰町、舞鶴宮津口町、舞鶴西町、舞鶴新町、舞鶴紺屋町、舞鶴引土新町、舞鶴朝代町、舞鶴引土町、舞鶴京口町、舞鶴堀上町が存在。

参考文献[編集]

関連項目[編集]