加佐郡

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加佐郡(かさぐん)は、丹後国京都府にあった人口5,571人、面積96.81km²(2003年)。

最後に残っていた大江町が、2006年1月1日に福知山市に編入され、郡は消滅した。

歴史[編集]

古代[編集]

7世紀に丹波国に属する加佐評として建てられた[1]701年に郡制の加佐郡となり、713年丹後国が分けられるとこれに属した。平安時代と室町時代には加佐郡に丹後の国府が置かれた。

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和名類聚抄』に記される郡内の

  • 志楽郷
  • 高橋郷(椋橋郷)
  • 大内郷
  • 田造郷(田辺郷)
  • 余戸郷
  • 凡海郷
  • 志託郷
  • 有道郷
  • 川守郷
  • 神戸郷

式内社[編集]

延喜式神名帳に記される郡内の式内社

神名帳 比定社 集成
社名 読み 付記 社名 所在地 備考
加佐郡 11座(大1座・小10座)
奈具神社 ナクノ
伊知布西神社 イチフセノ
弥加宜神社 イヤカキ
ミカゲノ
倭文神社 シトリノ
高田神社 タカタノ
大川神社 オホカハノ 名神大 大川神社 京都府舞鶴市 [1]
阿良須神社 アラスノ
笶原神社 ヤハラノ
麻良多神社 マラタノ
三宅神社 ミヤケノ
日原神社 ヒハラノ
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近現代[編集]

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、加佐郡に舞鶴町と24の村が成立する。(1町24村)
  • 1890年(明治23年)12月10日 - 河守下村が町制施行・改称し河守町となる。(2町23村)
  • 1902年(明治35年)6月1日 - 余内村から余部町が分立。(3町23村)
  • 1906年(明治39年)7月1日 - 倉梯村・志楽村から新舞鶴町が分立。(4町23村)
  • 1919年(大正8年)11月1日 - 余部町が中舞鶴町に改称。
  • 1928年(昭和3年)10月1日 - 丸八江村・東雲村が合併し、八雲村が発足。(4町22村)
  • 1936年(昭和11年)8月1日 - 四所村・高野村・中筋村・池内村・余内村が舞鶴町に編入。(4町17村)
  • 1938年(昭和13年)8月1日(1町14村)
    • 舞鶴町が市制施行し、舞鶴市となり郡より離脱。
    • 新舞鶴町・中舞鶴町・倉梯村・与保呂村・志楽村が合併し、東舞鶴市が発足、郡より離脱。
  • 1942年(昭和17年)8月1日 - 東大浦村・西大浦村・朝来村が東舞鶴市に編入。(1町11村)
  • 1951年(昭和26年)4月1日 - 河守町が河守上村・河西村・河東村・有路上村・有路下村を編入・改称し大江町となる。(1町6村)
  • 1955年(昭和30年)4月20日 - 岡田上村・岡田中村・岡田下村・八雲村・神崎村が合併し、加佐町が発足。(2町1村)
  • 1956年(昭和31年)9月20日 - 由良村宮津市に編入。(2町)
  • 1957年(昭和32年)5月27日 - 加佐町が舞鶴市に編入。(1町)
  • 2006年(平成18年)1月1日 - 大江町が福知山市に編入。同日加佐郡消滅。


明治22年以前 明治22年4月1日 明治22年 - 大正15年 昭和1年 - 昭和15年 昭和16年 - 昭和63年 平成1年 - 現在 現在
東大浦村 東大浦村 東大浦村 昭和17年8月1日
東舞鶴市に編入
昭和18年5月27日
舞鶴市
舞鶴市 舞鶴市
西大浦村 西大浦村 西大浦村
朝来村 朝来村 朝来村
倉梯村 倉梯村 昭和13年8月1日
東舞鶴市
東舞鶴市
明治39年7月1日
分立 新舞鶴町
志楽村
志楽村
与保呂村 与保呂村
余内村 明治35年6月1日
分立 余部町
大正8年11月1日
改称 中舞鶴町
余内村 昭和11年8月1日
舞鶴町に編入
昭和13年8月1日
舞鶴市
舞鶴市
四所村 四所村
高野村 高野村
中筋村 中筋村
池内村 池内村
舞鶴町 舞鶴町 舞鶴町
丸八江村 丸八江村 昭和3年10月1日
八雲村
昭和30年4月20日
加佐町
昭和32年5月27日
舞鶴市に編入
東雲村 東雲村
岡田上村 岡田上村 岡田上村
岡田中村 岡田中村 岡田中村
岡田下村 岡田下村 岡田下村
神崎村 神崎村 神崎村
河守下村 明治23年12月10日
町制改称 河守町
河守町 昭和26年4月1日
改称 大江町
平成18年1月1日
福知山市に編入
福知山市
河守上村 河守上村 河守上村 昭和26年4月1日
河守町に編入
改称
河西村 河西村 河西村
河東村 河東村 河東村
有路上村 有路上村 有路上村
有路下村 有路下村 有路下村
由良村 由良村 由良村 昭和31年9月20日
宮津市に編入
宮津市 宮津市

[編集]

  1. ^ 藤原京藤原宮の北をめぐる外濠から「丙申年七月旦波国加佐評」と読みとれる木簡が出た。旦波は丹波の古名。丙申年は696年。奈良国立文化財研究所『藤原宮木簡』一、155、奈良国立文化財研究所史料XII、1978年、解説78頁。

関連項目[編集]