聖バルバラ教会 (カイロ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
聖バルバラ教会
كنيسة بربارة
Saint Barbara Church
聖バルバラ教会内部(2015年)
地図
北緯30度00分22.0秒 東経31度13分52.5秒 / 北緯30.006111度 東経31.231250度 / 30.006111; 31.231250座標: 北緯30度00分22.0秒 東経31度13分52.5秒 / 北緯30.006111度 東経31.231250度 / 30.006111; 31.231250
所在地 カイロオールド・カイロ
コプト地区(: Coptic Cairo
 エジプト
教派 コプト正教会
歴史
過去名 ϯⲉⲕⲕⲗⲏⲥⲓⲁ ⲛⲧⲉ ϯⲁⲅⲓⲁ ⲃⲁⲣⲃⲁⲣⲁ
創設日 4世紀末-5世紀初頭
守護聖人 聖キュロスと聖ヨハネ英語版
聖バルバラ
献堂日 1072年頃再建
建築物
建築様式 教会建築バシリカ
様式 コプト建築英語版
建築物概要
全長 26メートル (85 ft)
全幅 14.5メートル (48 ft)
最頂部 15メートル (49 ft)
管轄
主教区 オールド・カイロ、Manial英語版 and Fum Al-Khalig
区分 コプト正教会総主教区
聖職者
大主教
(大司教)
総主教タワドロス2世英語版
主教
(司教)
Selwaniss
テンプレートを表示

聖バルバラ教会(せいバルバラきょうかい、アラビア語: كنيسة بربارة‎、英語: St. Barbara Church, Church of St. BarbaraSitt Barbaraコプト語: ϯⲉⲕⲕⲗⲏⲥⲓⲁ ⲛⲧⲉ ϯⲁⲅⲓⲁ ⲃⲁⲣⲃⲁⲣⲁ)は、カイロコプト地区(: Coptic Cairo)にある多くのコプト正教会教会堂の1つである。バビロン要塞の東側、コプト博物館の北にあるアブ・セルガ教会(聖セルギウスとバッカス教会)の東側に位置する。歴史ある重要な教会であり[1]、4世紀末-5世紀初頭にまでさかのぼる[2]

歴史[編集]

聖バルバラ教会は、かつて聖キュロス(アブ・キール、Abu Kir〈Aba Qir, Apa Kir[2]〉)または聖キュロスと聖ヨハネ英語版(アブ・キールとヨハンナ〈Yohanna〉)に捧げられた教会であった。今日、教会に近い北東(北[2])の一角に、2人の聖人に捧げる小教会(: Sts. Abakeer and Yoohanaa[2])がある[1]

教会の建設については、ウマイヤ朝のエジプト総督(アミールアブド・アル=アズィーズ・イブン・マルワーン英語版(在位685-705年)の書記官スクライブ)であったエデッサのアタナシウス(: Athanasius of Edessa)が知られる[2]

10世紀に教会はなくなったが、11世紀の1072年頃、ファーティマ朝の時代の教役者であった Yoohanaa al-Abah が、カリフより教会の建設許可を得ると、聖セルギウス英語版(アブ・セルガ)教会とともに[2]、かつての聖キュロスとヨハネの教会跡を利用して[3]、聖バルバラ教会を再構築した[2]。この教会に聖バルバラの聖遺物が納められていたことは、13世紀の史料(コプトシナクサリオン英語版(シナクサール[4]聖人暦〉)の写本[2])に記録されている[1]。また、13世紀以降、西洋の巡礼者の報告も認められ、当時よりオールド・カイロにおける重要な教会の1つであったとされる[2]

構成[編集]

聖バルバラ教会外部(2007年)

教会の外観においては、他の歴史的なコプト教会と同じく特に目立つことはなく、周囲の景観と融合している。教会堂は、長径 26メートル (85 ft) 、幅 14.5メートル (48 ft) 、高さ 15メートル (49 ft) である[2]バシリカ様式で[1]、2列の柱で仕切られた側廊により3列の身廊を備え、構造がアブ・セルガ教会とよく似ることから「双子の教会」「姉妹の教会」ともいわれる[2]。そのアブ・セルガ教会と同様に、再建されたコプト建築英語版要素が残存するとともに、木製のイコノスタシスが身廊に構築されている[2]。20世紀初頭には広範囲な修繕が施されて、祭壇の拡張に伴い身廊前面のクワイヤ: choir〈‘chorus’〉) が取り除かれた[2]

歴史的遺産として、修復中に発見された5世紀にさかのぼる扉板のほか、北側にあったファーティマ朝の時代の木製のイコノスタシス、それに聖書を入れる15世紀の銀の小箱(: caskets)、聖バルバラに関する古いイコンなど[2]、貴重な構成要素および遺物が多く認められ、それらは聖バルバラ教会からコプト博物館に移管されている[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e St. Barbara”. Coptic Cairo. Supreme Council of Antiquities (2008年). 2022年8月14日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n Beshara, Aida (2019). “Churches in the Name of St. Barbara in Egypt”. Egyptian Women in the Coptic Orthodox Church of Egypt. Christian Faith Publishing. ISBN 978-1644926130. https://www.google.co.jp/books/edition/Egyptian_Women_in_the_Coptic_Orthodox_Ch/XG8uEAAAQBAJ?hl=ja&gbpv=1&pg=PT83 2022年8月14日閲覧。 
  3. ^ Egypt. Eyewitness Travel. DK. (2015) [2001]. p. 121. ISBN 978-1-46544-102-7. https://www.google.co.jp/books/edition/DK_Eyewitness_Travel_Guide_Egypt/RRbfCgAAQBAJ?hl=ja&gbpv=1 2022年8月14日閲覧。 
  4. ^ 辻明日香『『シナクサール』の編纂過程に関する研究 - 14世紀コプト聖人の列聖を中心に』(PDF)2012年、1-2頁https://www.mishima-kaiun.or.jp/assist/report_pdf/2012c/c_h23_10.pdf2022年8月14日閲覧 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]