算命学

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算命学(さんめいがく)は中国に発祥した干支暦をもとに、年と月と日の干支を出して、人の運命を占う中国占星術、中国陰陽五行を土台とした運命学の一流派であり、日本で生み出された。算命術ともいう。なお中国で算命という言葉は「運命を算出する」を意味しており、占術全般を指す用語である。[1]

目次

[編集] 算命学

算命学には、命を計算し、それを数字に置き換えてエネルギーを計算する技法も含まれる。

算命学の技法は、陰陽五行による思想学と占術としての運命学の二つの理論と技術を持ち、運命学理論を占術が証明し、占術の技法を陰陽五行の思想学が支えることを土台として、膨大な理論と技術の上に成り立つものである。

その膨大な技法と思想は、十六の理論体系となり十六元法といわれ、この技法を使うと、先祖三代、子孫三代まで占うことができるとされる。

算命学の占術、技法の根幹は、「人」は自然界の一部として、「人」の運勢を自然界に置き換えて運命を分析する技術、思想の体系にある。

算命学思想は「天」「地」「人」三才と陰陽の思想からなり、「人」の運命は、「役目と環境が一致するところにおいては、自然(古代においては神)がその人を必要とする存在となり、役目と環境が一致しないところにおいては、自然はその人を淘汰する。」という厳格な判断をする。 また、この思想によって、人の運命を予測することができるものとする。

[編集] 算命学の歴史

日本のいわゆる算命を学んだ人達は、自分達の術の系統について以下のように自称している。

算命学の発祥は、中国春秋戦国時代の鬼谷子に始まるとされている。 それは、それまであった陰陽五行思想および、運命予測の技術をまとめた人とされるからである。

但し、鬼谷子は、歴史学上は想像上の人物とするのが多数説であり、その実在性を疑問視する向きもある。

鬼谷子については、史記列伝の蘇秦列伝 第九の冒頭に「東へ行っての国に師匠を求め、鬼谷先生について学問を習った。」とあり、揣摩の術を完成した。とある。また、史記列伝の張儀列伝 第十の冒頭に「張儀というのは、魏の人である。その始め蘇秦といっしょに鬼谷先生の門人として学問したことがあった・・・」とある。

蘇秦と張儀は、戦国時代の縦横家であり、張儀は秦の宰相となり、蘇秦は六国合従の宰相となった人である。蘇秦が完成したとされる揣摩の術は、人を意のままに操る神秘的術で、この揣摩の術が算命学の別名とされていたとする説もある[要出典]

揣摩の術、算命学は、中国大陸を統一した秦の始皇帝が権力を握ると、秦王朝内部だけの秘伝とし、宮廷の外には一切出さないようになった[要出典]

こうして算命学は、王朝お抱えの占い師達によってのみ命脈を保たれる一子相伝の運命学となったのである。そして、国が亡んでも次の王朝に受け継がれていく運命をたどったのである[要出典]

[編集] 日本における算命学

第二次世界大戦後の中国で共産党革命が起こり、伝承者であった呉仁和が長崎に亡命した[要出典]。 算命学の理論は高尾義政に伝承された。ただし高尾義政が長崎において呉仁和から指導を受けていたはずの時期に、占術書の販売・出版で有名であった鴨書店で高尾義政を度々見かけたという鴨書店主鴨志田氏の話もある。 また朱学院で算命を学んで後に万象算命の創始者となった伯耆弘徳は「算命学は高尾宗家によって創始された。」と語っている。

算命学は、その後日本において高尾義政によって有名となった。高尾義政の著書は、原典算命学大系ほか複数残されている。

[編集] 鑑定

[編集] 命式と人体星図

各人の生年月日にあてはめられている十干と十二支の組み合わせで、陰占といわれる干支と、陽占といわれる星を算出して運命を占う[2]

詳細は干支の項目参照

算命学では各年・月・日(・時)に干支が割り振られている暦を用いる。甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸十干子 丑 寅 卯 辰 巳 午 未 申 酉 戌 亥十二支、十干のと十二支ので「干支」となる。

干支
十干 読み 五行
きのえ
きのと
ひのえ
ひのと
つちのえ
つちのと
かのえ
かのと
みずのえ
みずのと
十二支 読み方
うし
とら
たつ
うま
ひつじ
さる
とり
いぬ

各人の生年月日から陰占を、そこから陽占(=人体星図)を割り出す。陽占では個人の性格などを表す十大主星と人生の諸段階の運命を暗示する十二大従星をみることができる。

陰占



干=核
支=右・左足
干=腹
支=足
干=頭
支=肩

干=右・左手

干=核

干=左・右手
陽占


(親・目上)
左・右肩
(初年期)
右・左手
(配偶者)

(自分自身)
左・右手
(兄弟姉妹)
右・左足
(晩年期)

(子供・目下)
左・右足
(壮年期)

手、肩、足の左右はおそらく諸派があって統一されていないが、1つだけある肩は普通向かって右側に配置されるようである。なお、肩は初年期、肩の下の足を壮年期、反対側を晩年期、肩がある方の手を兄弟姉妹・友人、ない方を配偶者と考えれば間違うことはないと思われる。

[編集] 命式の例

例:2006年6月13日の干支は、次のようになる。

陰占









陽占

司禄星 天堂星
龍高星 車騎星 龍高星
天胡星 調舒星 天馳星

[編集] 諸概念

[編集] 十大主星

貫索星(かんさくせい)
石門星(せきもんせい)
鳳閣星(ほうかくせい)
調舒星(ちょうじょせい)
禄存星(ろくぞんせい)
司禄星(しろくせい)
車騎星(しゃきせい)
牽牛星(けんぎゅうせい)
龍高星(りゅうこうせい)
玉堂星(ぎょくどうせい)

[編集] 十二大従星

天報星(てんぽうせい)
天印星(てんいんせい)
天貴星(てんきせい)
天恍星(てんこうせい)
天南星(てんなんせい)
天禄星(てんろくせい)
天将星(てんしょうせい)
天堂星(てんどうせい)
天胡星(てんこせい)
天極星(てんきょくせい)
天庫星(てんこせい)
天馳星(てんそうせい)

[編集] 天中殺

子丑天中殺
寅卯天中殺
辰巳天中殺
午未天中殺
申酉天中殺
戌亥天中殺

[編集] 脚注

  1. ^ 従って生年月日の干支から人間の特性、運命を推し量ろうとする術を算命学等と呼ぶのは日本独特の用語である。また算命が占術全般を指すことから中国語圏で算命館というと日本の占い館を指す。
  2. ^ 中国において、出生時刻から個人の特性と巡ってくる運勢を推し計ろうとする占術において生時を必要としないものはほとんどない。またかって「算命」が原典と主張した三命通会でも生時が必要であり、日干支と生時の関係に二巻が費やされている。これは日本で言う「算命」が日本で生み出されたものであることの強い傍証となるだろう。

[編集] 外部リンク