神戸町立神戸小学校

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神戸町立神戸小学校
地図北緯35度25分23.8秒 東経136度36分28.3秒 / 北緯35.423278度 東経136.607861度 / 35.423278; 136.607861座標: 北緯35度25分23.8秒 東経136度36分28.3秒 / 北緯35.423278度 東経136.607861度 / 35.423278; 136.607861
国公私立の別 公立学校
設置者 神戸町
設立年月日 1873年
共学・別学 男女共学
学校コード B121238100014 ウィキデータを編集
所在地 503-2305
岐阜県安八郡神戸町神戸775
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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神戸町立神戸小学校(ごうどちょうりつ ごうどしょうがっこう)は、岐阜県安八郡神戸町にある公立小学校

通学区域[編集]

  • 通学区域(自治会)は、井田区、宮町区、本町区、鍜冶屋町区、川西区、下新町区、上新町区、横町区、福井区、三津屋区、昭和町区、丈六道区、西座倉区、下宮区、前田区、起区、栄町区、ビレッジハウスごうど区、新和区、あさひ町区であり、公立中学校の進学先は神戸町立神戸中学校である[1]

沿革[編集]

  • 1873年(明治6年) - 神戸村に玉成義校、末守村末守村に啓迪義校、安次村に止善義校が開校する。
  • 1877年(明治10年) - この頃、啓迪義校が止善義校を統合する。
  • 1879年(明治12年) - 玉成義校が玉成小学校に改称する。
  • 1886年(明治19年) - 玉成小学校が玉成尋常小学校、啓迪義校が啓迪簡易科小学校に改称する。
  • 1887年(明治20年) - 玉成尋常小学校が啓迪簡易科小学校を統合する。
  • 1888年(明治21年) - 玉成高等小学校が開校する。
  • 1892年(明治25年) - 神戸村が町制施行し、神戸町となる。
  • 1895年(明治28年) - 玉成尋常小学校と玉成高等小学校を統合し、神戸尋常高等小学校になる。
  • 1897年(明治30年)7月1日 -
  • 1899年(明治32年) - 下宮村の一部(下宮)の児童が神戸尋常高等小学校へ委託される。
  • 1902年(明治35年) - 北平野村横井尋常小学校を統合。神戸尋常高等小学校は神戸町北平野村組合立の学校となる。横井分教場を設置。
  • 1904年(明治37年) - 下宮村の一部(下宮)の児童の委託を解除。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 神戸国民学校に改称する。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 神戸町北平野組合立神戸小学校に改称する。
  • 1950年(昭和25年)4月1日 - 神戸町が北平野村を編入する[注釈 2]。同時に神戸町立神戸小学校に改称する。
  • 1954年(昭和29年)4月1日 - 神戸町、下宮村、南平野村[注釈 3]が合併し、改めて神戸町が発足。
  • 1956年(昭和31年)
    • 3月 - 横井分校を廃止。
    • 8月 - 神戸町との合併を強く望んだ揖斐郡川合村の南部(西座倉など)の住民が、強硬手段として地区の小学生全員を川合小学校[注釈 4]から神戸小学校へ転校させる事態が発生する[注釈 5]
    • 9月 - 現在地に新築移転。
  • 1960年(昭和35年)4月1日 - 神戸町が大野町の一部(旧・川合村西座倉)を編入。西座倉が校区となる。
  • 1975年(昭和50年) - 神戸北小学校開校により、校区の一部が北小学校に移る。下宮小学校校区の下宮が神戸小学校校区に移る。

脚注[編集]

  1. ^ 小学校、中学校の通学区域(神戸町)

注釈[編集]

  1. ^ 現・神戸町立下宮小学校
  2. ^ 北平野村の一部(白鳥)は揖斐郡池田村へ編入。
  3. ^ 青木・草道島は赤坂町へ編入。
  4. ^ 現・大野町立南小学校
  5. ^ 川合村 (岐阜県揖斐郡)#分村問題を参照。

参考文献[編集]

  • 神戸町史 下巻 (神戸町 1969年) P.75 - 87 P.136 - 141 P.218 - 221 P.390 - 396
  • 郷土の歴史ごうど (神戸町 1980年) P.516 - 583

関連項目[編集]

外部リンク[編集]