石山キツエ
いしやま キツエ 石山 キツエ | |
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生誕 |
1911年2月1日 北海道雨竜郡雨竜町伏古 |
死没 | 1986年4月21日(75歳没) |
死因 | 転落死[1] |
国籍 | 日本(75歳没) |
民族 | アイヌ |
著名な実績 | アイヌ文化の伝承、アイヌ文化講習会の講師 |
親戚 | 杉村キナラブック、砂沢クラ |
石山 キツエ(いしやま キツエ、1911年〈明治44年〉2月1日[2] - 1986年〈昭和61年〉4月21日[1])は、日本のアイヌ文化伝承者。
北海道雨竜郡雨竜町伏古で誕生した[2]。家はアイヌ歌謡やユカㇻ(英雄叙事詩[3])の伝承者の家系であり[1]、同じくアイヌ文化伝承者である杉村キナラブック、砂沢クラの姪にあたる[3]。
父方、母方の祖母からそれぞれ、ユカㇻ、アイヌの歌謡を習い覚えた[1]。ヤイサマ(喜びや悲しみの気持ちを即興で歌う歌)を得意としており[3]、ヤイサマの第一人者ともされている[1]。
1928年(昭和3年)に結婚し、旭川市へ移住した[2]。1983年(昭和58年)には夫の石山長次郎や、旭川の他のアイヌ夫妻と共に、アイヌ文化の学習会「ウネウサラ・コトムカ」の講師を務めた[4]。この学習会はアイヌの生活用品、アイヌ語、アイヌ料理、薬草、旭川周辺の地名などを学ぶものであり[5]、1983年2月から6月まで開催された[6]。旭川のみならず、北海道内各地から、さらには東京からの参加者もあって、毎回40名を超える盛況であり、新聞紙上でも大きく取り上げられた[4]。その反響には、夫の長次郎の方が驚くほどであった[7]。
1986年(昭和61年)4月、自宅近くの小川で死亡している姿が発見された[6]。酔って川に転落し、陸へ登ろうしている間に心筋梗塞を起こしたものとも見られた[6]。75歳没[3]。
脚注[編集]
- ^ a b c d e 『日本女性人名辞典』芳賀登他監修(普及版)、日本図書センター、1998年10月25日、87頁。ISBN 978-4-8205-7881-9。
- ^ a b c 『エカシとフチ 北の島に生きたひとびとの記録』 別冊、札幌テレビ放送、1983年12月10日、15頁。 NCID BN0168819X。
- ^ a b c d 『日本人名大辞典』上田正昭他監修、講談社、2001年12月6日、157頁。ISBN 978-4-06-210800-3 。2022年3月8日閲覧。
- ^ a b 立原宏要「「ウネウサラ・コトムカ」紹介」『地域研究所年報』第7号、旭川大学地域研究所、1985年8月31日、77頁、NCID AN00333237。
- ^ 立原宏要「続「ウネウサラ・コトムカ」紹介」『地域研究所年報』第8号、1986年8月31日、114頁。
- ^ a b c 立原 1986, p. 113
- ^ 立原 1986, p. 143