皇清経解

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『皇清経解』(こうしんけいかい、こうせいけいかい[1]。『学海堂経解』とも)は、両広総督阮元1764年 - 1849年)が編纂した叢書で、七十三家・一百八十八種の書籍を収める。全1400巻。この書は経学(経書研究)の書の集成であり、乾嘉の学に対する第一次の全面的な総括である。後に夏修恕・阮福らの編輯・校勘・監刻・出版を経て、道光9年(1829年)9月に全書の刊行が完成した。内容の分類はなされておらず、ただ著者の年代順で並べられている[2]

咸豊7年(1857年)9月、アロー戦争でイギリス・フランス軍が広東に侵入し、版木の過半数が戦火に遭った。咸豊10年(1861年)、両広総督の労崇光らが補刻のための資金を集め、馮登府の著作七種(計8巻)を加えて、「咸豊庚申補刊本」が完成した。

光緒の初期、陶治元の編纂による『皇清経解敬修堂編目』16巻が作られた。この本は、経書の順番に沿って並び替えて、経文ごとに対応する著作の頁数を示した[3]

王先謙1842年 - 1917年)は『皇清経解』の体例に倣って、続編である『皇清経解続編』(1430巻)を制作した。

江戸時代後期の日本でも『皇清経解』は受容されており、特に安井息軒1799年 - 1876年)は本書を購入して膨大な書き入れを行っている[4]

内容[編集]

阮元『皇清経解』に収められている著者は、顧炎武閻若璩胡渭万斯大・陳啓源・毛奇齢・恵周惕・姜宸英・臧琳・馮景・蒋廷錫・恵士奇・王懋竑・江永・呉廷華・秦蕙田・全祖望・杭世駿・斉召南・沈彤・恵棟荘存与盧文弨江声王鳴盛銭大昕・翟灝・盛百二・孫志祖・任大椿・邵晋涵程瑶田金榜戴震段玉裁王念孫孔広森・銭塘・李惇・武億・孫星衍・胡匡衷・凌廷堪・劉台拱・汪中阮元・張敦仁・焦循江藩・臧庸・梁玉縄・王引之・張恵言・陳寿祺・許宗彦・郝懿行・馬宗璉・劉逢禄・胡培翬・趙坦・洪震煊・劉履恂・崔応榴・方観旭・陳懋齢・宋翔鳳・李黼平・凌曙・阮福・朱彬・劉玉麐・王崧・厳杰の七十三家である。

王先謙『皇清経解続編』において新たに加えられた著者は、王夫之・陳厚耀・顧棟高・任啓運・程廷祚・褚寅亮・銭坫・宋綿初・周広業・荘述祖・洪亮吉・梁履縄・李林松・胡秉虔・厳可均・馬瑞辰・胡承珙・洪頤煊・元照・徐養原・王聘珍・李富孫・黄模・臧寿恭・沈欽韓・金曰追・李鋭・沈濤・汪遠孫・張成孫・許桂林・金鶚・江沅・朱大韶・馮登府・劉文淇・羅士琳・李貽徳・呉卓信・陳奐・曾釗・汪㷖・兪正燮・丁晏・迮鶴寿・姚配中・包慎言・潘維城・胡祥麟・龔自珍・鄭珍・鄭知同・陳澧・侯康・苗夔・夏炘・朱緒曾・柳興恩・黄式三・王宗涑・朱右曾・呉嘉賓・曾国藩劉宝楠・劉恭冕・竜啓瑞・陳立邵懿辰・何秋濤・魏源・鄒漢勛・劉書年・鍾文烝・劉毓崧・陳寿熊・蒋仁栄・兪樾倪文蔚・成蓉鏡・劉恭冕・孔広牧・黄以周・陶方琦・劉寿曾・林兆豊・胡元儀・胡元玉・林頤山である。

脚注[編集]

  1. ^ コトバンク”. 2021年5月20日閲覧。
  2. ^ 厳傑『編刻皇清経解序』
  3. ^ 『皇清経解敬修堂編目』例言
  4. ^ 川尻文彦・林文孝・水上雅晴 著「第6章 明末清初から近代――新中国への胎動」、湯浅邦弘 編『中国思想基本用語集』ミネルヴァ書房、2020年。ISBN 9784623087365 232頁「皇清経解」