「ノート:マルコによる福音書」の版間の差分

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。
削除された内容 追加された内容
m 訂正
編集の要約なし
11行目: 11行目:


16:21 220.221.78.117氏の書き込みにより訳のわからない状態になっているので、2005年1月24日 (月) 15:50 の状態にいったん戻します。 --[[利用者:Chuta|忠太]] 2005年3月12日 (土) 13:50 (UTC)
16:21 220.221.78.117氏の書き込みにより訳のわからない状態になっているので、2005年1月24日 (月) 15:50 の状態にいったん戻します。 --[[利用者:Chuta|忠太]] 2005年3月12日 (土) 13:50 (UTC)



*****************

"客観的"とは空想のことらしいです。どの教会の神父さんや牧師さんに聞いてもこれを否定する方はいないでしょう。この人はどうも意地になっているようです。しかしこのペー
ジを完全に否定する聖書の言葉があります。これから加筆する方はこの人たちの妨害にめげず書き込んでください。

また、私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。それは、私たちの愛する兄弟パウロも、その与えられた知恵に従って、あなたがたに書き送ったとおりです。 その中で、ほかのすべての手紙でもそうなのですが、このことについて語っています。その手紙の中には理解しにくいところもあります。無知な、心の定まらない人たちは、 聖書の他の個所のばあいもそうするのですが、それらの手紙を曲解し、自分自身に滅びを招いています。 愛する人たち。そういうわけですから、このことをあらかじめ知っておいて、よく気をつけ、無節操な者たちの迷いに誘い込まれて自分自身の堅実さを失うことにならないようにしなさい。 第2ペテロ3:15ー3:17 新改訳聖書から引用しました。

パウロ=ヘレニスト(アンテオキア教団)とペテロ=エルサレム教団は敵対関係にあったように書かれていますが全くのでたらめです。
最初にこの人の書いた文章はすべてこのような偏見から出ており、思い込みの産物であることは通常の聖書学者からみれば当然でしょう。

Wikipedia日本語版のキリスト教関係のページを牛耳っているのは聖書を読んだことのない人達です。彼らは一般的な常識(信じていないので中立の立場)を信じ込んでいて、自分たちは客観的、中立な立場で編集に関わっていると思い込み、加筆、修正が自由とうたわれているこのページを台無しにしています。公共心のない人達です。このままだと日本語版だけ内容のない間違いだらけの百科事典とは似ても似つかないものに成り下がってしまいます。

 忠太氏の上の文章の引用

に新たな権威を作る必要性を感じていたのだろう。彼らはイエスの言行を編集・文書化し権威を作り出そうと試みた。この福音書の存在そのものが、優れて反エルサレム教会的であったかもしれない。」と断定的に書いてあるのはいかなることか?
--[[利用者:Chuta|忠太]] 2004年11月14日 (日) 14:27 (UTC)  ご自分の意見とも食い違ってますよ。ちゃんと管理できないのならやめてください我々よりもっと才能のある人はいます、その人達の邪魔をしないでください。


私が修正したものをここに載せておきます。
*********************

'''マルコによる福音書'''(ギリシャ語: Κατά Μάρκον Ευαγγέλιον ラテン語:Incipit Evangelium Secundum Marcam)は[[新約聖書]]中の一書。四つの[[福音書]]中で最も早く成立した。



==特徴==
マルコによる福音書は出来事を非常に簡潔に書いているため、これを基にして他の福音書は独自の取材を付け加える事で共観福音書が生まれたという説もある(二資料仮説による [[マタイによる福音書|マタイ伝]]、[[ルカによる福音書|ルカ伝]]、[[ヨハネによる福音書|ヨハネ伝]]の福音書は、執筆時にマルコ伝を参照しているという説。)マルコ伝に限らず福音書本文中に登場する人物で公人以外に名前の出る人たちは初期の教会のメンバーであったと推測できる。イエスに心の思いを見透かされた人の記事などは当の本人にしか知り得ない出来事であり、彼らに対するインタビューによって書かれた部分が確実に存在する。また彼らは集会において体験談を証し(あかし)あるいは説教として語っていたであろう事は十分に推測できる。そのためヨハネによる福音書は独自色が強く現れている(黙示録に通ずるものがある)

==聖書学==
*聖書学では「本文・伝統的」な解釈を疑う傾向があり学者によって違いがある。また新しい発見等により変動がある事に注意。

[[2世紀]]以降、正統派教会内では、一段価値の低い福音書として扱われた。これはマルコ福音書が、[[マタイによる福音書|マタイ伝]]又は[[ルカによる福音書|ルカ伝]]の要約であると考えられていたためである。マルコ福音書がもっとも古い福音書だとされたのは所謂二資料説仮説に基づく(現在でもこの仮説への反論は散見する)。しかし、この仮説によって最も古いマルコ福音書こそ史的イエスについのて情報が保存されているのではないかとの期待が高まり、研究が盛んに行なわれた。この点からマルコ福音書の価値は高まったと言えよう。しかしマルコ福音書は神学的動機から描かれたものであるとして、福音書記事から史的イエスに遡ることは出来ないことは研究者の間でほぼ一致している。ただし、「歴史」をどのように記述できるか(歴史哲学の問題である)という点で議論が分かれることは言うまでもない。
*文書成立の背景
執筆の年代は、上限が[[40年|紀元40年]]代、下限は、エルサレム神殿の崩壊([[70年]])を知らないので、70年前後。神殿崩壊を知っており、それ以後とする学者も少数いる(13章他)(現在では70年以降とする研究者が多数となった)。執筆地は、ギリシア、小アジア、ローマ、ガリラヤなどの説がある。
正確な作者は不明。パレスチナ出身のユダヤ人説、パレスチナを知らない非ユダヤ人説がある。伝統的に[[マルコ (福音記者)|マルコ]]([[使徒行伝]] 12:12 他)に帰属されているが、その可能性もある。[[ギリシア語]]が拙く、母語ではないが、[[ヘレニスト]]のグループに属していたかもしれない。

早い時期の写本では、女たちがイエスの墓を訪れた場面で終わっており(16:8)それ以降は後世の加筆、あるいは失われた部分が早い時期に発見されて加えられた部分と考えられる。


==内容==
他の福音書に比べて短く、形式が簡潔で物語性が強い。イエスの誕生物語はなく、洗礼者ヨハネによる説教と洗礼から始まる。以下の4部の構成に分けられる。

# 宣教以前
# ガリラヤにおける説教と癒しの2年間
# エルサレムへの旅を含めた3年目の活動
# 受難と復活

{{stub}}
----
*[[マタイによる福音書]]
*[[ルカによる福音書]]
*[[ヨハネによる福音書]]
*[[聖書の登場人物の一覧]]
[[Category:聖書|まるこによるふくいんしょ]]
[[Category:福音書|まるこによるふくいんしょ]]
[[Category:新約聖書|まるこによるふくいんしょ]]

[[de:Evangelium nach Markus]]
[[en:Gospel of Mark]]
[[es:Evangelio Según San Marcos]]
[[fr:Évangile selon Marc]]
[[ia:Evangelio Secundo Marco]]
[[nl:Evangelie naar Marcus]]
[[sv:Markusevangeliet]]
[[zh:馬爾谷福音]]
***************
ここまでです。

2005年3月14日 (月) 22:51時点における版

前の方では、「パレスチナ出身のユダヤ人説、パレスチナを知らない非ユダヤ人説がある。伝統的にマルコ(使徒行伝 12:12 他)に帰属されているが、その可能性もある。ギリシア語が拙く、母語ではないが、ヘレニストのグループに属していたかもしれない。」と書いているのに、「エルサレム共同体と決裂したヘレニストのグループは、独自の道を歩まなければならなかった。その頃、直接のイエスの言葉を知っていた弟子は、その知識の独占により高い権威を誇った。一方、ヘレニストには直弟子はおらず、そのために新たな権威を作る必要性を感じていたのだろう。彼らはイエスの言行を編集・文書化し権威を作り出そうと試みた。この福音書の存在そのものが、優れて反エルサレム教会的であったかもしれない。」と断定的に書いてあるのはいかなることか? --忠太 2004年11月14日 (日) 14:27 (UTC)[返信]

マルコの福音書

福音(書)は本来は一つであって、そのうちマルコが書いた福音書、という意味で「マルコによる」という表記になっている、と聞いた記憶がある。 --忠太 2005年1月24日 (月) 15:40 (UTC)[返信]
新改訳によります。-- 2005年1月24日 (月) 23:40 (UTC)[返信]

やはり一個人の仮説による文章はこんなに短くてもつじつまが合わない、しかし聖書の統一性は驚くべきものです。

つじつまのあった独断よりも、客観的な記述を望みます。 --忠太 2005年3月5日 (土) 13:53 (UTC)[返信]

16:21 220.221.78.117氏の書き込みにより訳のわからない状態になっているので、2005年1月24日 (月) 15:50 の状態にいったん戻します。 --忠太 2005年3月12日 (土) 13:50 (UTC)[返信]


*****************

"客観的"とは空想のことらしいです。どの教会の神父さんや牧師さんに聞いてもこれを否定する方はいないでしょう。この人はどうも意地になっているようです。しかしこのペー ジを完全に否定する聖書の言葉があります。これから加筆する方はこの人たちの妨害にめげず書き込んでください。

また、私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。それは、私たちの愛する兄弟パウロも、その与えられた知恵に従って、あなたがたに書き送ったとおりです。 その中で、ほかのすべての手紙でもそうなのですが、このことについて語っています。その手紙の中には理解しにくいところもあります。無知な、心の定まらない人たちは、 聖書の他の個所のばあいもそうするのですが、それらの手紙を曲解し、自分自身に滅びを招いています。 愛する人たち。そういうわけですから、このことをあらかじめ知っておいて、よく気をつけ、無節操な者たちの迷いに誘い込まれて自分自身の堅実さを失うことにならないようにしなさい。 第2ペテロ3:15ー3:17 新改訳聖書から引用しました。

パウロ=ヘレニスト(アンテオキア教団)とペテロ=エルサレム教団は敵対関係にあったように書かれていますが全くのでたらめです。 最初にこの人の書いた文章はすべてこのような偏見から出ており、思い込みの産物であることは通常の聖書学者からみれば当然でしょう。

Wikipedia日本語版のキリスト教関係のページを牛耳っているのは聖書を読んだことのない人達です。彼らは一般的な常識(信じていないので中立の立場)を信じ込んでいて、自分たちは客観的、中立な立場で編集に関わっていると思い込み、加筆、修正が自由とうたわれているこのページを台無しにしています。公共心のない人達です。このままだと日本語版だけ内容のない間違いだらけの百科事典とは似ても似つかないものに成り下がってしまいます。

 忠太氏の上の文章の引用

に新たな権威を作る必要性を感じていたのだろう。彼らはイエスの言行を編集・文書化し権威を作り出そうと試みた。この福音書の存在そのものが、優れて反エルサレム教会的であったかもしれない。」と断定的に書いてあるのはいかなることか? --忠太 2004年11月14日 (日) 14:27 (UTC)  ご自分の意見とも食い違ってますよ。ちゃんと管理できないのならやめてください我々よりもっと才能のある人はいます、その人達の邪魔をしないでください。[返信]


私が修正したものをここに載せておきます。 *********************

マルコによる福音書(ギリシャ語: Κατά Μάρκον Ευαγγέλιον ラテン語:Incipit Evangelium Secundum Marcam)は新約聖書中の一書。四つの福音書中で最も早く成立した。


特徴

マルコによる福音書は出来事を非常に簡潔に書いているため、これを基にして他の福音書は独自の取材を付け加える事で共観福音書が生まれたという説もある(二資料仮説による マタイ伝ルカ伝ヨハネ伝の福音書は、執筆時にマルコ伝を参照しているという説。)マルコ伝に限らず福音書本文中に登場する人物で公人以外に名前の出る人たちは初期の教会のメンバーであったと推測できる。イエスに心の思いを見透かされた人の記事などは当の本人にしか知り得ない出来事であり、彼らに対するインタビューによって書かれた部分が確実に存在する。また彼らは集会において体験談を証し(あかし)あるいは説教として語っていたであろう事は十分に推測できる。そのためヨハネによる福音書は独自色が強く現れている(黙示録に通ずるものがある)

聖書学

  • 聖書学では「本文・伝統的」な解釈を疑う傾向があり学者によって違いがある。また新しい発見等により変動がある事に注意。

2世紀以降、正統派教会内では、一段価値の低い福音書として扱われた。これはマルコ福音書が、マタイ伝又はルカ伝の要約であると考えられていたためである。マルコ福音書がもっとも古い福音書だとされたのは所謂二資料説仮説に基づく(現在でもこの仮説への反論は散見する)。しかし、この仮説によって最も古いマルコ福音書こそ史的イエスについのて情報が保存されているのではないかとの期待が高まり、研究が盛んに行なわれた。この点からマルコ福音書の価値は高まったと言えよう。しかしマルコ福音書は神学的動機から描かれたものであるとして、福音書記事から史的イエスに遡ることは出来ないことは研究者の間でほぼ一致している。ただし、「歴史」をどのように記述できるか(歴史哲学の問題である)という点で議論が分かれることは言うまでもない。

  • 文書成立の背景

執筆の年代は、上限が紀元40年代、下限は、エルサレム神殿の崩壊(70年)を知らないので、70年前後。神殿崩壊を知っており、それ以後とする学者も少数いる(13章他)(現在では70年以降とする研究者が多数となった)。執筆地は、ギリシア、小アジア、ローマ、ガリラヤなどの説がある。 正確な作者は不明。パレスチナ出身のユダヤ人説、パレスチナを知らない非ユダヤ人説がある。伝統的にマルコ使徒行伝 12:12 他)に帰属されているが、その可能性もある。ギリシア語が拙く、母語ではないが、ヘレニストのグループに属していたかもしれない。

早い時期の写本では、女たちがイエスの墓を訪れた場面で終わっており(16:8)それ以降は後世の加筆、あるいは失われた部分が早い時期に発見されて加えられた部分と考えられる。


内容

他の福音書に比べて短く、形式が簡潔で物語性が強い。イエスの誕生物語はなく、洗礼者ヨハネによる説教と洗礼から始まる。以下の4部の構成に分けられる。

  1. 宣教以前
  2. ガリラヤにおける説教と癒しの2年間
  3. エルサレムへの旅を含めた3年目の活動
  4. 受難と復活

de:Evangelium nach Markus en:Gospel of Mark es:Evangelio Según San Marcos fr:Évangile selon Marc ia:Evangelio Secundo Marco nl:Evangelie naar Marcus sv:Markusevangeliet zh:馬爾谷福音 *************** ここまでです。