牧野宣成

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牧野宣成
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 明和2年7月8日1765年8月24日
死没 文化8年3月19日1811年5月11日
改名 虎次郎(幼名)、宣成
戒名 松樹院殿仙誉貞幹宗如忠翁大居士
墓所 埼玉県鴻巣市本町の勝願寺
官位 従五位下佐渡守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家治家斉
丹後田辺藩
氏族 牧野氏
父母 牧野惟成:カン
兄弟 則成武成福成満成宣成尚成尹成牧野美成養女、つね、有馬則明正室、川口恒久
正室酒井忠恭の娘・タキ
以成、久子、允成、梅、牛窪登成、多加、川口恒久
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牧野 宣成(まきの ふさしげ)は、丹後国田辺藩の第6代藩主。丹後田辺藩牧野家7代。

生涯[編集]

明和2年(1765年)7月8日、第5代主・牧野惟成の5男として江戸で生まれる。長兄の則成は病弱で廃嫡され、次兄の武成と三兄の福成は早世し、四兄の満成も病弱だったために世子に選ばれ、天明3年(1783年)に父が死去すると家督を継いだ。

寛政の改革では老中首座・松平定信のブレーンとして幕政に参与した。藩政では田辺城三の丸に藩校・明倫斎を創設して学問を奨励し、藩士子弟の教育振興に努めた。寛政4年(1792年)には80歳以上の百姓・町人に褒美を与え、凶作に備えて備蓄制度を整備している。文化元年(1804年)8月22日、病気を理由に家督を長男の以成に譲って隠居する。

文化8年(1811年)3月19日(幕府の記録では3月29日)に江戸で死去した。享年47。

系譜[編集]